紫煙の行方

こんな私でも実は意外と多忙な日々を送っています。仕事、酒、酒、仕事、酒、酒、酒と言うように繁劇を極めているのです。しかしながら、こうも極度に定型化された生活を執拗に反復していると、自らの脳細胞が逓減しているのではないかとの懸念を抱き、さてどうしたものかと思い悩むのもまた事実である。一方で、思い悩む事そのものが思考を深化させ、脳細胞の弱体化を食い止め、むしろ脳細胞の活性化を促進しているのだという甚だ姑息で狡猾な結論を導き出すのも私の得意技だ。このインチキパラドクス的手法を用いれば、大抵の事は表面上ではあるが正当化する事が可能となる。と言う事で更に酒を呑むのです。さて、話は変わって私は愛煙家であります。頃来の嫌煙ブームを、冷笑を以て睥睨しているが、この極めて馬鹿げた嫌煙ブームを例に挙げ、如何に世の人々が何の根拠もない風説に翻弄されているかという事を明らかにしてゆきたいと思う。誤解を避けるために留意されたい点がある。私は、煙草の煙や臭いを生理的に厭嫌する人に全く同意であるし何ら異存はない。それは私が女性の香水の匂いや、親父の整髪料の匂いや、呑み屋でバカ騒ぎする戯け者を極度に嫌うのと同列であり人間として当然の反応である。然るに、例えば呑み屋で隣客の麗しき女性(大原麗子似)に「御今晩は。わたくし煙草の煙の臭いがたいそう苦手ですの。出来れば控えて頂けませんこと」などと言われれば「ははっ。これは気が付きませんで甚だ失敬致しました。今を以て、貴姉の面前でケムを出すは某の心ノ臓が果てるまで必定禁制とするを御誓い申し上げます」と詫びを入れバケツで水を掛けて煙草を消すでしょう。しかししかし、これが香水臭い醜女(もたいまさこ似)で、「ちょっと!タバコの煙がアタシの方に流れて来るんだけど!迷惑だから止めてくんない!」とでもほざこうものなら「なにぃ!このヒョットコ面のお多福ババァ!てめぇの香水こそ、べったら漬けよりくせぇじゃねえか!クサヤの方がまだましだ!てめぇなんざ芳香剤代わりに雪隠にぶら下がってろ!」ってな具合にカウンターを食らわし、フィデルカストロ御用達コイーバを一度に10本吹かして店内を煙で充満させてやります。この2例の様なやりとりは、お互いの心情を主張した結果の譲歩、あるいは対立であり、人間の行動としては極めて健全で至当な反応だ。この場合の争点は、煙草に対する好悪、香水に対する好悪のみであるからして甚だ簡素で爽やかでさえある。こういった感情の対立を言語でぶつけ合う事こそが実は真物の対話であることは間違いないし、たとえイガミあっていても、私は好感がもてるのである。すなわち、好きか嫌いかで自らの主張を激しく繰り広げる人は、人間の行動原理に照らせば何処まで行っても正しいし、私はそういう人が間接的(直接的には関わりあいたくないが)に好きなのである。他方で、惨毒な問題を孕んでいるのが、「体に悪いから煙草はやめたほうが良いよ」とか「受動喫煙による健康被害を受けたくないから側で煙草を吸わないでくれ」などと言う人達だ。私は斯様な人々をつくづく心の底から、実に哀れでバカな人々だと思う。地球上のあらゆる生物は、生まれた瞬間から死に向かって猛進しており、生きている事自体が体に悪いのだ。これを聞いてくだらぬ屁理屈だと感じる読者は、私がこの場で折に触れて述べている様に、自らの脳を使い物事を判断する事を諦めた思考停止者である。広告収入に依存した詐欺メディアと御用学者が垂れ流す受動喫煙云々説を無批判に盲信する低偏差値型嫌煙論者にズバシ申し上げよう。感染症を除く病気の疾病原因を特定する事は絶対に出来ない。これは原理的に不可能なのである。地球上の生物、就中人間は高度に発達し複雑化した生活を送っている為、その疾病原因はあらゆる不確定要素が混交し、特定することなど益々にして永久に不可能なのだ。如何に学者が死に物狂いで研究しようとも、その結論は「もしかすると、煙草を吸うと肺癌になるかも知れないとも言えない事もないと考えられないとは言えない」という程度のものしか導けない。残念ではあるが、この悲しき現実は工学系以外の全ての学問に通底する原理なのである。最近やたらと流行りの坂本竜馬など、私の目には野卑で粗暴な山出し者が粋がっているだけの、肥溜め臭い田舎侍としか映らないが、その昔この肥溜め田舎侍が具体的に何をしたのかという事は、本人に聞いてみなければ精確な事実は証明出来ない。歴史学者が声を張り上げて自説を主張しても、それは残存する資料(その資料でさえ確実に本物であるという事は絶対に証明出来ない)を基にその学者が練り上げた仮説と言う名の淡い予測に過ぎないのである。昔々、コーヒーを一日何杯以上飲むと胃癌になるとか、コカコーラを飲むと骨が溶けるとか、座りっぱなしの職業の人はイボ痔になるとか、読者諸賢も聞いた事があるのではないだろうか。これらは全て当時の学者、研究者が言い放った言説であるが、今ではその全てがデタラメである事が証明されている。その他にも、犬を始めとする夜行性動物は色盲であると永い間信じられてきたが、よくよく調べてみると犬はしっかりと色を識別している事が判明した。絶対に安全だ安全だと言われ続けてきたこの国の原発がどういう事になったか、もはや説明の必要は無いだろう。一見厳密に見える学問の世界も実はこの程度のいい加減なものなのである。では何故こういったあくまで予測の範疇でしかない不安定な仮説がいつの間にか、或いは突如として定説化するのか。それは偏に、学者、研究者の賤しい功名心が原因だ。学問とは実に厳しくなかなか結果の出ないものである。殆どの学者の生涯は、先人の遺した基礎研究の上に、自分が心血を注いで調べ上げた研究データを積み上げるだけで、目立った成果もあげられずに終わる。本来如何にも、学問とは辛く厳しいものなのである。この苛虐な現実に耐えきれなくなった目立ちたがり屋の学者、研究室よりもテレビ局が好きな研究者は、自らの研究成果が不確かで疑わしい事を自覚しつつも、己の永年の研究がなかなか実を結ばないという焦燥感に苛まれ、あたかもそれが定説であるかの如く世に発表し、大ボラを吹いてしまう。そして無批判な大衆は、その仮説と言う名の予測を定説として信じ込んでしまうのだ。現代社会で其処此処に散見されるこの勘違い企業代表電通型アプローチによる連鎖反応に見事に合致するのが、煙草有害嫌煙論と言える。煙草有害論の草分けであり大家でもあるリチャードドールは嘗て「煙草を吸うと寿命が10年縮まる」と大見得を切った。天下のリチャードドールにあるまじき粗雑なこの放言を聞いた時、私はリチャードドールでさえ、やはり「学者の勇み足」という粗相をしてしまう事に、人間という生き物の愚かさを垣間見た気がした。こんなバカげた主張はなんの疫学知識も持たない私でも一瞬で論破出来る。読者諸賢であれば既にお分かりかと思うが一応説明しよう。例えば、私があと何年生きられるかは、絶対に誰にも判らない。自分でも判らない。今晩人形町通りでタクシーに轢かれて死ぬかもしれないし、三年後に不老不死の薬が発明され百年以上に亘って煙草を吸いながらしつこく生き続けるかもしれない。私の残りの寿命があとどのくらいかも判らないのに、私が愛煙家だからと言って、その判らない寿命がどうして10年短くなると言えるのだろうか。つまりは、寿命が10年短くなるという時間軸の起点がそもそも存在しえないのである。また、日本での煙草有害論の代表的人物であり受動喫煙なるスーパーヒステリックワードを一般化した平山雄による研究は、永年に亘るその研究データが「平山データ」と呼ばれるほどで、日本国内の煙草有害論者の多くが彼のデータを基礎データとして引用している。ところが、此のデータを少し調べてみると、受動喫煙有害論において、煙草の煙が大気によって薄まる希釈率をあからさまに殆ど無視しているのだ。こういったいい加減極まりない流言蜚語にあっさりと騙される社会は本当に憐れだ。「煙草は癌になる」「受動喫煙が怖い」と戦きながら、煙草より遥かに健康を害する食品添加物、化学調味料まみれのファストフードを全面禁煙の店内で我が子に食わせている御母堂の姿はまるで落語そのものである。煙草は、その商品としての性質上、社会に与える経済的影響が低い為に、スケープゴートにされているだけなのだ。まあとにかく皆さん、煙草を吸う私に対して「煙草の臭いが厭だからやめろ!」と言うのは宜しい。その相手によっては即座に火を消すし、お詫びもする。だが「煙草は肺癌になるから」とか「受動喫煙云々」と言う者は断じて排除する。そういう健康大好きヒステリー病に侵された痴人には、雷門二葉のマコガレイの薄造りに添えてある紅葉おろしをたっぷりと鼻の穴に詰めてやるからな!憶えとけよ!二葉の紅葉おろしは滅法辛いんだぞ!ホントだぞ!

 

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