大人万歳

呑み屋のカウンターで独酌していると毎夜の如く噛み締める様に感じる事がある。嗚呼、大人になって本当に良かった。私は子供の頃、自身が子供であることが実に嫌であった。特に家庭に問題があった訳でもなく、学校で苛められていた訳でもなかったし、傍から見れば何処にでも居る極めて凡庸な子供であったろう。しかし私は嫌であった。幼少期の楽しき思い出などほぼ皆無である。兎に角一日一刻も早く大人になりたかった。何より、子供には自由が無い。自分の判断では何をすることも赦されず、常に周囲の大人に管理され拘束される。これが堪らなく嫌であった。それは当たり前と云えば当たり前であろうし、止む無しと云えば止む無しであろう。それは判っていても、子供であることが嫌で嫌で嫌であった。決して悪い事はしないから、放っておいてくれ!自分に構わないでくれ!と、心中に叫びが響く日々であった。とりわけ、そういう私に強大なるストレスを与えていたのが学校という名の監獄であった。何でも皆と一緒にやる。まずもうこの個人の主体性を蹂躙する集団共同生活なるものが、私にとっては地獄以外の何物でもなかった。そもそも何故学校などという刑務所に等しい閉鎖社会に日々身を投じなければならないのか。それについてあらゆる教師から一切の説明は無かった。通常、常識的に考えれば、何らかの事由で止むを得ず他者に物事を強制する場合、その事由を詳らかに説明するという最善の誠意を見せ、対者の承諾を得た上で物事を遂行するのが現代倫理の大原則の筈だ。警察官が犯罪者を逮捕する時でさえ、キチンと逮捕状を提示し、最低限の礼を尽くすものである。それをあろうことか、相手が子供であると見るや否や、一切の承諾無く問答無用に監獄学校に叩き込む。実に酷い話ではないか。雨の日も風の日も、凍て付く様な冬月の朝も、皆憑かれたかの如く粛々と自ら監獄に向かう。私は周囲から距離を置き、その光景をおののきつつ眺めていたものである。悪天候の日であれば、無理を押して監獄なぞに行かず、家の炬燵で番茶を啜りながら泉屋のクッキーを喰い、星新一でも読んでいる方が、幼少の私にとっては余程快適で充実した時となるはずであったが、そのような行為は決して認められることはなかった。更に、こう云った苦悶に満ちた私の幼少生活に輪を掛けて、その苦しみを甚だしく増幅させていたのが時節折々に挙行される各種リクリエーションであった。入学式、卒業式、遠足、社会科見学、運動会、マラソン大会、学芸会、学園祭など拷問という他無かった。通常の授業であれば、読み書き算盤に類するものは流石の私も、まあこれは近代人類の一員として一応身に付けておくべきであろうと部分抜粋的に理解していたが、各種催事は到底理解出来なかった。あんなものはやりたい者が勝手にやれば良いものである。運動会は、駆け足の早い子供が得意の俊足を衆目の中でこれ見よがしに披露すべき活躍の場であって、デブの鈍足児を無理矢理走らせて恥をかかせる必要は全く無いのではないか。日本の公教育は苦手な事を人前でやらせて晒し者にするのが大好きなのである。学園祭や学芸会に至っては完全に意味不明理解不能であった。集団で、共同で、一つの目標に向かって皆仲良く協力し、一致団結邁進するという行為が、徹底的に生理的に駄目なのである。なんだか北朝鮮のマスゲームを観ている様で気持ち悪くなってしまうのだ。小学生も高学年になれば、大の大人を容易く欺く巧妙な虚言を弄する技術を覚え、私はその独自の技術を密かに鍛え上げ、数々の難局を決死の覚悟で乗り越え、逃げてきた。遅刻したふりをして遠足に参加せず、診断書を偽造してマラソン大会を免除され、学園祭の時期になると、何か深い悩みを抱え、登校拒否になったふりをして登校せず、卒業式の日は一日限定で行方不明になったりと、自分を守る為、そして主体性を堅持するために、ありとあらゆる狡猾な手法で孤独な戦いを繰り広げてきた。思い起こせば落涙避けられぬ艱難辛苦連なる苛烈な日々であった。あれから数十年、斯くして私は大人になった。好きな仕事をして毎晩杯を煽りつつ、幼少期の人権蹂躙的生活から解放されたことをひしひしと感じ、シメシメとほくそ笑んでいる。と、同時に、人生は原理的に絶望であることも忘れじと肝に銘じている。読者諸彦、この国は何もかも殆ど全てが狂っています。まともなのは私とせんだみつお氏だけです。民主主義が行き過ぎた結果、バカが増長し、優秀な者が抑圧される社会になってしまいました。「活動的なバカほど恐ろしいものはない」。ゲーテの至言であります。

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