2011年01月

虎仮面現る。

まあ、いずれに致しましても相も変わらず不幸で不幸で不幸すぎる日々を送っている私では御座いますが、浮世にはタイガーマスクなるデリカシーの欠片もない超絶無神経型大バカ者が跳梁跋扈しているようですな。三文芝居の如き子供騙しの、しかし大人ならではの婉曲な嫌らしさが腐臭を放つ手法で、多数派的、無批判的、無思考的善意を、ニコニコしながらヨイショヨイショと一方的に強力に他者に押しつける無自覚的無神経型善人に対し、私は虫唾が走るのである。こういった彼らベタな多数派的善人は、1.社会一般において善とされている事象を疑わない(無批判)。2.社会一般において善行として承認され、なおかつ自分が良かれと思う行為であっても、それを厭う者が少なからず存在することを認めず、またそれを想像する事も出来ない(無思考)。そして、3.自らが多数派的善人と言う暴力集団の一翼を担い、少数派に対して善意や好意や良識(この三つは全て一般的な意味で)といった精神的暴力を日常的に振るっている事に気付きもしない(無自覚)。このような多数派的行為がいかに危険で暴力的で戦慄すべきものであるか、読者諸賢はお解りでしょうか。誤解を避けるために敢えて申し上げれば、私はこの猿芝居ともいえるタイガーマスクごっこそのものが良くないと言っているのではない。そんな事はどうでも良い。醜悪な自己愛に振り回されている大の大人の恥ずかしいくらいの稚拙な行為として私の目に映り、冷笑、嘲笑を浴びせるだけである。では何がそれほど問題なのか。前述した3点の危険要素はいずれも極めて枢要ではあるが、なかんずく3.の無自覚の危険性に注視したい。この3.の無自覚は、1.の無批判と2.の無思考という人間の知性を全否定した恐るべき過程を経て産み出された天下無敵の化け物なのである。無自覚モンスターは、ボランティア活動に精を出している者に散見されます。例えばボランティアによる駅頭での募金活動。早朝から道行く人々に、とにかく何が何でも金をくれと声を張り上げています。彼らは自分のこの募金活動は一般社会に承認された善行である事を体験的に知悉しており、絶対に正しい、間違いなく善行だという揺るぎない確信に満ち満ちています。一方で、忙しく行き交う通勤客に邪魔だなあ、ウルセーなあ、と思われている事も知っています。でもめげません。全然平気、そんな事は物ともしません。だって自分の行為は絶対に正しいんですから、世間から認められた紛う事なき善行なんですから。ここまでの1.無批判と2.無思考による、言わば脳死状態に突入し、着々とモンスターへの足場を固めて行きます。そして間もなく遂に多数派的善人型無自覚モンスターが完成し首を擡げるのです。多数派的善人型無自覚者の絶望的な問題点は、自らの善行に対し、「本質的且つ根源的」に異を唱える少数者の視点が完全に欠落しているところにある。簡潔に述べれば、社会を構成している人員の多様性を感じる事が全く出来ず、すなわちその多様性を感じる事が出来ない自分に気付いていないということです。さらに、その自分達の無自覚善行が少数者に対して向かう時、凄まじい暴力性を帯びる事など予想だにしない。朝日は美しい。やっぱり大勢で食べると食事が旨いよね。夕日は綺麗だなあ。子供は可愛いなあ。家庭の温かさって好いなあ。地下鉄ではお年寄りに席を譲ろうよ。盲導犬って素晴らしい。緑の地球を子供たちに残そう。お祭りって楽しい。結婚式っておめでたい。お葬式は悲しい。スポーツって清々しい。やっぱり夏はビールだよな。椎茸って旨いよな。はいはい、勝手にして下さい。彼らにとって地下鉄でお年寄りに席を譲る事は皆が認める絶対善であり、緑の地球を子供たちに残す事は絶対善なのです。これらの一般社会の承認を経た多数派的絶対善は、それに根本的な誤謬が潜在しようとも、少数派によるあらゆる批判を徹底的に拒絶します。さらに、多数派的善意の押し売りを相手に拒否されるや、さっきまでの優しさは何処へやら、一転して御機嫌斜めとなります。過日、前述した「緑の地球を子供達に残そう!」という運動を私の貧家付近で行っている100人前後の老若男女の集団がいました。あまりにうるさいので窓を開けてみると、それはもうただならぬ張り切りようで「美しい地球を子供たちに!」、「たった一つの地球を大切に!」、と金切り声で絶叫しています。私は一瞬、窓から生ゴミでも投げつけてやろうかと思いましたが、崇高な理性が邪魔をしてそんな下品な事は到底出来ません。地上に降りて冷静に自分の要求を伝える事にしました。「すみません。静かにして頂けませんか」、すると意外な事に集団のリーダー格と思しきおじさんは平身低頭、「御迷惑をおかけして申し訳ありません。すぐに移動してもう少し静かにやります」。ここでやめておけば全ては丸く治まった(極めて日本的な表現だなあ)筈なのに、どうしてもそれが出来ないのが私の性分です。「それとですな。私はね、地球なんて今後どうなっても一向に構わない。明日地球が真っ二つに割れてもそれはそれで仕方がないと思います。第一、地球にとって一番良い事は、人類が絶滅する事なんではないでしょうか。たった一つの地球を大切に、なんて人間の驕り以外の何物でもないと思いますよ。それとね、つきつめて考えれば人間というものはね、本質的に無責任な生き物なんですよ。ある事に対して完全に責任を持つなんて言う事は、口で言うのは簡単だけど実際には絶対に出来ないんですよ。そういった基本的な事をね、貴方達は全然わかっていませんね」とやってしまったのが大間違い、彼らの表情が一変。みるみるうちに眉毛、目じりは吊りあがり、あれよあれよと言う間に顔面は紅潮し、今にも拳の一つも飛んできそうな形相です。先程までの穏やかな態度は豹変し、私に向かって今までの10倍増のボリュームで「たった一つの地球を子供たちに!!」「緑の!地球を!子供たちに!!」「子供たちの!未来の為に!大人は責任をもとう!」というヒステリー的大合唱とあいなってしまいました。仕方が無いので、私は合法的暴力団である警察に連絡しました。そして地球と子供を愛してやまない多数派的無自覚型善人団は、現場に到着した警察官の国家権力という暴力によって排除されたのでした。タイガーマスクごっこも本質的には彼ら善人団と何ら変わる事はありません。同じです。だいたい、児童養護施設に匿名で贈り物を送りつけ、テレビのニュースを見て一人自宅でほくそ笑んでいるなんてたいそう陰湿で気持ちの悪い趣味だなあと私は思うのです。匿名の贈り物を安易に受け取る方にも問題があります。もしかして送り主が覚せい剤の売人だったらどうするのでしょうか。極悪ヤクザだったらどうでしょうか。そもそも、自己判断能力の育っていない子供が見ず知らずの人からの一方的な施しをうけるというのは教育上宜しくないのではないでしょうか。この程度の事を思いめぐらす事が出来ないなんて、タイガーマスクって本当にバカなんですなあ。

 

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