悔恨の家路

「或る意味、」「正直、」「逆に言えば、」「世界観」「説明責任」「目線」「コンプライアンス」等等、私はこういった低俗、低劣、卑俗、浅劣な単語を何の抗据もなく安直に発する諸人を嫌忌すること至極であります。面話している相手がそんな言葉を吐こうものなら、弾丸の如く屋外にに飛び出し路上で大の字になり、両手両足をバタバタさせながら、「ソウイウコトユーノヤメレー!」と絶叫したくなります。実際には、そんな行動をとる訳にもいかない故、従容とした四囲を保ちつつ、憤懣をひたすら押さえ込むのです。今や一国の宰相までもが左様な言句を連発する時世であるからして、私が路上大の字両手両足バタバタ指弾攻撃をしても、どうなるものでもありません。過日、私が頻通する酒場のカウンターで隣席した白髪の、教養満タン何でも御座れ風貴紳が、事もあろうに私の面前で上記の浅劣単語を巧みに操りながら、バーテンダーに対し熱弁を奮っておりました。バーテンダーはひきまくっています。私はバルヴェニーの15年をやりながら、今宵は難敵じゃ、などと思念していたのです。その教養満タン何でも御座れ親父の呑み方が、これまたミミッチイ。ダブルグラスに入ったグレンフィディックが、全然減らない。文字通り舐める様に呑んでいる。おいっ貴様!何だそのつまらん呑み方は!ここは呑み屋だぞ!男だったらガバリガバリと呑んでみたまえ!俺なんか酒は何でもラッパ呑みだ!(それはウソだけど)と言ってやりたくなる程です。何でも御座れ親父は、驟雨の如き己の振弁に疲極したのか、にわかに押し黙り、放尿に旅立ちました。バーテンダーは嘆息しながら私の方を見て苦笑しております。バーテンダーと私は話しはじめました。バーテンダーが、この辺で旨い焼き物を食わせる所はないかと言えば、それならあそこだと私が答える。そんなお互い呑み食い好き同士が情報交換をしていると、放尿を終えた何でも御座れ親父がカウンターに帰還した。少間、閑々と二人の会話を聞いていた御座れ親父は、なんとしても話しに参座したかったらしく、突如「美食は敵ですぞ。」と私に言い放った。聞き捨てならん!貴様はショウペンハウエルか!美酒美食をこよなく愛する私に向かってなんたる事ぞ。私は気色ばんで、反撃に打って出た。ほほう、なるほど、それでは貴殿の御意見御高説を賜りましょう。御座れ親父の執意はこうである。「旨いものばかり食っていると、それ以下の食い物は全て不味く感じるようになり、そういう刹那的快楽はかえって人を不幸に陥れる。普段不味いものを食っていれば、それ以上の食い物は全て旨く感じるようになり甚だ人を幸福にする。」ああ!なんと心の貧しい思量であろうか。だがしかしである。うむむむ、、、。臍を噛むほどに口惜しいが、けだし合理的で正論だ。虚をつかれた私は二の句がつげずにバルヴェニーをガバリと呑んだ。何事にも合理性を重んじるのが私である。此処はひとつ大人であるところを見せねばならない。「今晩は大変ありがたいお話を伺いました。失礼致します。」と御座れ親父に叩額し酒手を払い、忸怩たる思いで家路についた。が、ここでこのまま、おめおめと引き下がる吾人ではない。次回は必定御座れ親父の持論を打ち破り、勝利の美酒に酔いしれることを誓ったのであります。そこで、前稿で発足を御報告した「呑み屋の偽装一合糾弾粉砕撃滅協議会」は直ちに解散し(悲しいかな、どなたからの応募もありませんでした。)、御座れ親父論破団を結成致しました。御座れ親父はショウペンハウエル、プルタルコスの使い手であり、かなりの論客である事が予察されます。強力な理論武装による援護を切に願うものであります。何卒!

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