たとえば、『日本は法治国家である』 『日本は民主主義国家である』 『日本国民は900兆円の借金を抱えている』 『為替レートは市場原理に基づいて変動している』、といった事を殆どの者は一応肯定するだろう。しかしこれらは全て完全なウソ、デタラメ、インチキである。例を挙げながら端的に解説しよう。まず『日本は法治国家である』ならば、福一ボム後、一年以上が経過しているにもかかわらず、何故東京地検は東電を捜査しようともしないのか。東電という民間企業の刑事責任を問わないのか。何故私の基本的人権は毎日のように踏み躙られるのか。交通違反の反則金制度は疑う余地のない異常な二重法律である事は当然として、裁判無しに国民を罰する事が出来ると言う戦慄すべき制度が何故横行しているのか。国家の暴走を縛る為の憲法は蹂躙され、国民の自由を奪う法律ばかりが充実してゆく。また、一度でも日本の刑事裁判に関わった事がある者は、日本の司法制度が呆了するばかりの形骸化した茶番劇である事を実感しただろう。『日本は民主主義国家である』との大嘘は、選挙制度を見れば一目瞭然だ。民主主義とは換言すれば、多数決をよしとするものだ。その多数決制度の根幹である選挙制度に多数決の論理が全く働いていないのである。その元凶が選挙区制度だ。特に小選挙区制度では場合によって、有権者の数パーセントからしか支持を得ていない候補者が当選する。残りの有効投票は全て死に票となって遺棄される。こんなバカな事で政治に民意が反映されよう筈もない。むしろ政治に民意が反映しないように、この選挙制度を採用しているのである。多数決の原理を真摯に受け止めるのであれば、政治に民意を精確に反映させる選挙制度は、死に票が全く発生しない比例代表制しかない。『日本国民は900兆円の借金を抱えている』とは、よくもこれ程までに馬鹿げたデタラメがまかり通るものだと失笑を禁じえない。この900兆円の借金とは当然国債の事であるが、国債とは国民が政府に金を貸した証券である。それが何故いつの間にか国民の借金になってしまうのだろうか。この厚顔無恥で巧妙なトリックについてここでの詳述は避けるが、これは財務省の役人が脈々と受け継いできた、財政不安を国民に植え付け、増税の口実とする悪質な詐欺の手口なのだ。『為替レートは市場原理に基づいて変動している』わけがない。世界の為替レートはIMFとFRB(連邦準備制度)が恣意的に操作している。たとえば現在の円高もFRBの操作によって意図的、恣意的に作り出されたものなのである。たったこの4例を考えてみただけでも、如何に国民が日常的に、根本的なレベルの事象から騙されているかが良く判る。更に卑近な例を示そう。3.11の震災瓦礫処理の問題だ。マスメディアから流される情報に頼っている国民の殆どは、被災地は瓦礫処理に困窮しており、被災地外での広域処理を望んでいると思い込まされているだろう。そしてマスメディアは連日のように、国は被災地外に震災瓦礫の受け入れを要請し、受け入れ地の住民達がそれに強く反対するという構図の報道を流し続けている。ところが、これは明らかな世論誘導であって完全なるウソなのだ。被災地の実態はこれら報道されている事とは正反対としか言いようがない。実は3.11の被災地にとって震災瓦礫は復興に欠かせない宝の山なのである。阪神淡路大震災で発生した瓦礫は2000万トン。これを3年かけて全て被災地内で処理した。神戸空港の埋め立てに有効利用したのだ。これに対して3.11震災瓦礫は2200万トンから2300万トン。このうちの数百万トンを被災地外で広域処理しようと言うのだが、実は被災地としては新規の防潮堤建設や被災各地の埋め立てに震災瓦礫を有効利用したい為、1トンたりとも外に出したくないのが本音であり、被災地外処理など誰も望んでいない。3.11被災地にとって瓦礫処理は、壊滅的な被害を受けた地元経済を立て直すための唯一と言ってもいい絶好の機会であり、頼みの綱なのだ。被災地内での瓦礫処理は、潤沢な復興予算で地元の雇用創出を促し、被災者を経済的に立ち直らせる。ではどうして国は被災地外広域処理をごり押しするのか。これには明確な理由がある。阪神淡路大震災の時、国からおりた復興予算のうち瓦礫処理費用として1トンあたり2万円が認められた。それが3.11の瓦礫処理費用は1トン当たり6万円以上の予算がついているのだ。言うまでもないが実に3倍以上だ。腐りきったこの浮世に数多蔓延る、国から垂れ流される税金にぶら下がって飯を食う被災地外の大資本ハゲタカ企業が、こんな旨みのある話を聞き逃す事など考えられようか。というより、そもそも被災地外の大資本ハイエナ企業に復興予算なる税金を流す為に、1トン当たり6万円という異常に高額の瓦礫処理予算をつけたとも言える。つまり、震災瓦礫広域処理とは、殆どが東京に本拠を置く大資本が、復興予算という巨額資金を被災地から強奪する、鬼畜の所業の如き計略なのだ。被災地では、瓦礫処理に限らず復興事業の殆どが大資本に毟り取られ、地元の建設会社は孫受けの孫受け辺りで、雀の涙ばかりのおこぼれを頂戴しているのが現状だ。まさに泣きっ面に蜂である。こういった苛虐な事実をマスメディアは一切報道しない。大資本に不利益が及ぶような報道は全くせず、「震災後一年以上経っても被災地の瓦礫は全体の6%しか処理が進んでいません!」 「被災地には未だ手付かずの、気が遠くなるような大量の瓦礫が積み上げられています!広域処理は止むを得ないのではないでしょうか!」などと、被災地から復興予算を奪い取り、大資本の黒腹を膨らませるだけのしらじらしいゴマ擂り報道を垂れ流し、無思考型日本国民を洗脳し騙し続ける。ある放送局のニュース番組で、被災地の地元労働者と思しき50代の東北弁を使う男性が、震災瓦礫の広域処理を切実な表情で訴える映像がしきりに流された。私は、この映像が番組制作会社による完全なヤラセであった証拠を掴んでいる。この如何にも地元労働者といった雰囲気を漂わせた50代の男性は、郷愁を誘う東北弁を話す通り、東北出身ではあるものの、実は東京在住で、3.11とは何の関係もない人物だったのである。また、被災地の小中学生を平野復興相に面会させ、震災瓦礫広域処理の早期実現を哀願するという、自己判断力の無い子供を出汁にした厭らしい猿芝居も各局で積極的に放映された。如何だろうか。マスメディアとは、ここまで卑劣な情報操作をやってのけるのである。マスメディアの原動力は、社会正義を保つ精神でも質の高い情報を読者に提供する真摯な気持ちでもない。カネである。そのカネを生み出すのは購読料、視聴率、と広告料だ。インターネットの普及による新聞離れ、テレビ離れと、デフレ不況による広告収入の落ち込みという二重苦を背負い、今や斜陽産業になりつつあるマスメディアが、各社生き残りを賭けて恥も外聞も無く権力や大資本に擦り寄るのは、当然の帰結なのかもしれない。或いは、マスメディアとは元来そういうものなのかもしれない。これらの社会状況が何を意味するのか。それは、『コーポラティズム』だ。『コーポラティズム』とは、政、官、財(大資本)、マスメディアが見事に癒着し、十全な利権構造を擁した国家社会のことである。現在、コーポラティズムが最も進んでいる国はアメリカだ。それに追従するようにコーポラティズムを推進しているのが日本である。コーポラティズムの核をなす4者の利権関係は一朝一夕のものではなく、永い時間をかけて構築されたものであり、これを解体するのは不可能に近い。近代史を遡ってみても、このコーポラティズムの利権構造を完全に解体した例はない。残念ではあるが、コーポラティズムとは資本主義国家あるいは資本主義社会が宿命的、そして最終的に陥る不治の病の末期症状であると言わざるを得ない。この不治の病の末期症状であるコーポラティズムが更に進むと、政、官、財、マスメディアが、己の利権を死守しようとする為、国民の監視、管理体制を益々強めることになる。そして、あらゆる巧妙な手段を行使して国民を欺き続けるのだ。今、私達が生きるこの社会が如何なる状況なのかを示唆する興味深い資料が手元にある。東京新聞に掲載された「原子力業界で多用される主な専門用語」という資料だ。以下にその内容を記してゆく。 《 『事象』⇒危険性を低く見せる為に使う典型的な用語。「事故」や「トラブル」の代わりに使う。 『高経年化』⇒原発の「老朽化」のこと。原発関係者は「老朽化」という言葉は絶対に使わない。 『冠水』⇒福一の廃炉手法。本来は「水棺」というが、「棺」という字を嫌った電力会社が命名した言葉。 『滞留水』⇒建屋などに溜まった「高濃度放射性汚染水」の事。穏やかな表現だが表面線量は毎時2000ミリシーベルト超。 『燃料の損傷』⇒燃料が傷ついているだけの様な印象を与えるが、実際は「メルトスルー」。 『廃スラッジ』⇒ただのゴミのような呼称だが、実は汚染水浄化装置で発生する人が近付く事すら危険な程の超高濃度の放射性汚泥。 『バックエンド』⇒使用済み核燃料の再処理を含む核廃棄物の処理業務全般の事。この言葉からそれが指し示す意味を想像する事は出来ない。 『クリアランス』⇒一定の線量未満の核廃棄物を一般廃棄物扱いにする法制度。「クリア」と言いながら放射性物質を含む。 『MOX燃料』⇒毒性の強いプルトニウムを含むが、それを感じさせないように様にした呼称。 『冷温停止状態』⇒健全な原子炉に使われる「冷温停止」に「状態」を付け、政府が安全性のアピールにフル活用した。》 この資料が、コーポラティズムの極致ともいえる状態の日本を実に率直に物語っているのは明らかではないだろうか。私は、こういう腐敗した社会に生きている事を強く自覚し、思惟を深めずにはいられないのである。