2009年03月20日

群像と思考

東京マラソンである。迷惑以外のなにものでもない。私はこういう催事に参加せんとする人々の精神構造が全く理解できない。そんなに走りたいのであれば一人でいくらでも走っていれば良いではないか。その方がよほど快適かつ愉悦であろう。好きな時間に、好きな場所で、他人に気を遣う事も無く、思うがままに縦横無尽に走り廻り、疲れたらさっさとやめて帰ればよいのだから。花粉と排気ガスにまみれた都内を我先にと血眼になって走る人の群れを見ると、馬鹿馬鹿しさを通り越して失笑してしまう。スポーツというものは、概して著しく健康を害する。老いを恐れ、それに抗おうと無理矢理暴れまわれば、寿命を縮めるのは自明の理である。事実、私のまわりで成人後も執拗にスポーツを続けていた者は、みな早死にした。まあ、「貴様黙れ!それでも俺は走りたいのだ!」という人を止めるつもりはさらさらない。好きにすればよろしい。私が隠忍ならないのは、こういった催事が他者に甚大な損害を与えている事実と、権力者から与えられた機会に嬉々として飛びつき、低次元の精神的充足感を得ようとする隷属的な思考回路である。「そんなことは無い!」と言う者もあろう。しかし、御意見無用。貴方は自分の深層心理を自覚していないだけである。東京マラソンに限らず、WBC、オリンピック、国体、等々、このような前時代的大衆統制型スポーツイベントを何時まで続けるのであろうか。こんなものを続けている限り、個人主義に立脚した真に洗練された、自由で快適な社会は永遠に実現しないであろう。フォレストガンプを見よ!突如として一人で走り出し、走りまくり、疲れ果て、突如としてやめた。あれこそ誠のスポーツだ。斯く申す私も時折走る事がある。それは、電車に乗り遅れそうな時と、便意を催した時である。最尾に、枚挙した様なスポーツイベントは全て、政治的意図の下に始まり、政治的に利用されている事を付け加えておきたい。クワバラクワバラ。
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