2011年7月

節電するバカ

上午の厳しい労働を終え、貴方はささやかな愉しみである中食に出掛けようとする。「今日は寿司でも喰おうかな。あそこは回転寿司にしては結構旨いんだよな。そうしよう、そうしよう」 すると同僚、或いは上司から「そこのさあ、回転寿司の隣に在った焼き鳥屋が潰れた跡に出来たイタリアン意外と旨いみたいなんだよ。行ってみようぜ」と声がかかる。貴方は昨晩、愚妻が作ったアルデンテとは程遠い、茹で過ぎたうどんの様なぺペロンチー二を喰わされたばかりである。「うわっ、参ったなあ。さっぱりと寿司でも喰おうと思ってたのに」と心中閉口するが、「なあ、お前も行くだろ」と念を押され、「お、おう。そうしようか」と思わず同調してしまった。己の付和雷同的性格を省観しつつ渋々ついて行ってみれば、化学調味料まみれのインチキイタリアン。まるでインスタント食品と同じレベルだ。後悔と落胆が激しく交差する心持ちで、その妙に脂っこい化調大量投下型ボンゴレロッソを、ゲップを連発しながら仕方無くついばむ貴方を尻目に、上司や同僚は「旨い旨い」と頷きあいながら満足そうに食んでいる。「これが旨いだなんて、こいつら完全に化調ジャンキーの味盲だな」と腹の中で一人嘲笑するが、断りきれずに同行してしまった自分がやはり情けない。化調爆撃ボンゴレロッソを半分以上残し、「あれ、もう食べないの」 「ああ、今朝からちょっと胃もたれ気味で」という切ないやりとりの後、貴方はジャンクイタリア料理店を出る。全面禁煙化された自社ビルの16階。非常階段の踊り場でマルボロに火を着ける。溜息で紫煙を吐き出しながら、右手に載った緑の100円ライターを見つめ、「先月の誕生日に、浜町のキャバクラの優香ちゃんからプレゼントされたライター、もう失くしちゃったんだよな。どうしよう。叱られちゃうな。あそこは暫く行けないな」。愚にも付かぬ事を案じながら再び煙霧を流す。「そうだ!そんな事より今晩こそ刺身を食おう。後でカミさんに電話しなくちゃ」 三社祭で貰った安物の携帯灰皿でマルボロを揉み消し、貴方は職場に戻る。下午も激務だ。その上、直属の上司である体育会系バカ課長は節電キャンペーンを盲信し、エアコンの設定温度は29度と譲らない。暑いのなんの、部下達の顰蹙を買っている。ほおずき市で貰った団扇を片手に貴方は頑張る。下午3時の休憩。団扇を持ったまま非常階段の踊り場に飛び出す。「なんだ。外の方が涼しいじゃん」 咥え煙草で、意を決して腐妻に電話する。「あなた何の用」 「あのさあ、今晩刺身が喰いたいんだけど。出来れば鮃かイサキ」 「、、、、、、、」 「あ、、、いやいや何でもいいんだよ。蛸でいいよ蛸で。蛸が喰いたいなあ、、、」 「あなた今頃電話してきて何言ってるのよ!もう買い物済ませちゃったわよ。今夜はキーマカレーよ。じゃあね!」 ブチッ。「あーあ、カレーか、、、、」 短くなったマルボロを最後の一息とばかり胸一杯吸い込み、嘆きの煙を放出する。譲歩に譲歩を重ね、蛸を所望しただけなのに、それすらあえなく鬼妻に粉砕された。小さく項垂れて自席に戻ろうとすると、体育会系バカ課長に呼ばれた。「あのなあ、こんな事言いたくないけど、お前いい加減にタバコやめろよ。ウチの課で吸ってるのもうお前だけだぞ。な、やめろよ」 多勢に無勢、なんら反論できず自席に戻った貴方は誰にも聞こえない様に呟く。「誰にも迷惑かけてないじゃないか!こんなささやかで個人的な愉しみまで奪う権利がバカ課長にあるのかよ!」 さて、 暑気の抜けない夕刻、 一日の労働から解放され、やるせない気味合を抱えたまま家路につく。「もしかして、、、」と考えたが、やはり食卓に蛸の姿は見えなかった。淡い期待をよせた自分が愚かだった。コテコテこってりのキーマカレーを流し込む。「ちょっと暑いよ。エアコン強くしてよ」 「よくそんな事が言えるわね!会社だって節電してるんでしょ!みんな我慢してるのよ!」 コテコテこってりキーマカレーを無理矢理完食し(残すと厳しく叱責を受ける)、貴方はそそくさと風呂場に逃げ込む。風呂から上がると「明日は絶対に回転寿司を食うぞ!」と誓い一人床につく。こうして貴方の一日は終焉を告げ、そしてそして似たような日々が、早桶に入るまで果てしなく続くのである。貴方が本当に、謙譲心を持ったとても好い人である事を私は知っている。だが而して、貴方が実は本当に悪い人である事も私は知っている。貴方は何事にも本気で抗わない。怒りの叫びを上げない。身を挺して戦わない。貴方は上司や同僚から、化調爆弾イタリアンに誘われても断固として退け、回転寿司を食わなければならない。体育会系バカ課長と掴み合いの喧嘩になってもエアコンの設定温度を25度にしなければならない。禁煙を強要するマッチョバカ課長の顔面にタバコの煙を力一杯噴出しなければならない。豚妻の頬を張り飛ばしてでも蛸の刺身を買って来させなければならない。それが出来ないのであれば、高濃度化調イタリアンを旨いと言ってパクつくバカ同僚と、脳内筋肉型節電バカ課長と、漫然生存型惰妻と、貴方は同レベルのバカとしてとどまる事になる。何故なら、貴方が心の中で、何をどう考えていようと、こういった節電類バカ科に属する者たちに追従してしまうのであれば、その結果は同じだからである。些細な事だからと他者との対立を避けてはならない。下らぬ事であっても得心がいかないのであれば徹底的な論戦に挑む習慣を身に付けなければならない。何事においても、他者との関係性では対立する事が自然であるとの認識を強く持ち、自らの強靭な主体性を育て直さなければならない。他者との対立こそが、私たちの住む社会を自由で住みよくするのである。貴方の様な御人好しが、節電類バカ科を形成する者たちに、つい盲従してしまった結果が、間接的ではあるにせよ福島第一原発の水素爆発なのかも知れない。かつてウラジミール・イリイチ・レーニンは「国家の本質は暴力である」と指摘した。私はレーニンという人物をさして評価していないが、この言葉だけは見事に的を射た指摘だと思う。主体性を失った国民が多数を占める社会は、国家という必要悪があらゆる隙間にヒタヒタと忍び寄って来る。今回の震災によって、図らずもその国家という巨大な暴力の正体が垣間見えたのではないだろうか。そして私たちは今後半永久的に放射性物質漬けの食品を食わなければならない。お解りだろうか。角を抜かれた牛は、死ぬまで乳を搾り採られるだけなのである。
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