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スタッフブログ

大人万歳

呑み屋のカウンターで独酌していると毎夜の如く噛み締める様に感じる事がある。嗚呼、大人になって本当に良かった。私は子供の頃、自身が子供であることが実に嫌であった。特に家庭に問題があった訳でもなく、学校で苛められていた訳でもなかったし、傍から見れば何処にでも居る極めて凡庸な子供であったろう。しかし私は嫌であった。幼少期の楽しき思い出などほぼ皆無である。兎に角一日一刻も早く大人になりたかった。何より、子供には自由が無い。自分の判断では何をすることも赦されず、常に周囲の大人に管理され拘束される。これが堪らなく嫌であった。それは当たり前と云えば当たり前であろうし、止む無しと云えば止む無しであろう。それは判っていても、子供であることが嫌で嫌で嫌であった。決して悪い事はしないから、放っておいてくれ!自分に構わないでくれ!と、心中に叫びが響く日々であった。とりわけ、そういう私に強大なるストレスを与えていたのが学校という名の監獄であった。何でも皆と一緒にやる。まずもうこの個人の主体性を蹂躙する集団共同生活なるものが、私にとっては地獄以外の何物でもなかった。そもそも何故学校などという刑務所に等しい閉鎖社会に日々身を投じなければならないのか。それについてあらゆる教師から一切の説明は無かった。通常、常識的に考えれば、何らかの事由で止むを得ず他者に物事を強制する場合、その事由を詳らかに説明するという最善の誠意を見せ、対者の承諾を得た上で物事を遂行するのが現代倫理の大原則の筈だ。警察官が犯罪者を逮捕する時でさえ、キチンと逮捕状を提示し、最低限の礼を尽くすものである。それをあろうことか、相手が子供であると見るや否や、一切の承諾無く問答無用に監獄学校に叩き込む。実に酷い話ではないか。雨の日も風の日も、凍て付く様な冬月の朝も、皆憑かれたかの如く粛々と自ら監獄に向かう。私は周囲から距離を置き、その光景をおののきつつ眺めていたものである。悪天候の日であれば、無理を押して監獄なぞに行かず、家の炬燵で番茶を啜りながら泉屋のクッキーを喰い、星新一でも読んでいる方が、幼少の私にとっては余程快適で充実した時となるはずであったが、そのような行為は決して認められることはなかった。更に、こう云った苦悶に満ちた私の幼少生活に輪を掛けて、その苦しみを甚だしく増幅させていたのが時節折々に挙行される各種リクリエーションであった。入学式、卒業式、遠足、社会科見学、運動会、マラソン大会、学芸会、学園祭など拷問という他無かった。通常の授業であれば、読み書き算盤に類するものは流石の私も、まあこれは近代人類の一員として一応身に付けておくべきであろうと部分抜粋的に理解していたが、各種催事は到底理解出来なかった。あんなものはやりたい者が勝手にやれば良いものである。運動会は、駆け足の早い子供が得意の俊足を衆目の中でこれ見よがしに披露すべき活躍の場であって、デブの鈍足児を無理矢理走らせて恥をかかせる必要は全く無いのではないか。日本の公教育は苦手な事を人前でやらせて晒し者にするのが大好きなのである。学園祭や学芸会に至っては完全に意味不明理解不能であった。集団で、共同で、一つの目標に向かって皆仲良く協力し、一致団結邁進するという行為が、徹底的に生理的に駄目なのである。なんだか北朝鮮のマスゲームを観ている様で気持ち悪くなってしまうのだ。小学生も高学年になれば、大の大人を容易く欺く巧妙な虚言を弄する技術を覚え、私はその独自の技術を密かに鍛え上げ、数々の難局を決死の覚悟で乗り越え、逃げてきた。遅刻したふりをして遠足に参加せず、診断書を偽造してマラソン大会を免除され、学園祭の時期になると、何か深い悩みを抱え、登校拒否になったふりをして登校せず、卒業式の日は一日限定で行方不明になったりと、自分を守る為、そして主体性を堅持するために、ありとあらゆる狡猾な手法で孤独な戦いを繰り広げてきた。思い起こせば落涙避けられぬ艱難辛苦連なる苛烈な日々であった。あれから数十年、斯くして私は大人になった。好きな仕事をして毎晩杯を煽りつつ、幼少期の人権蹂躙的生活から解放されたことをひしひしと感じ、シメシメとほくそ笑んでいる。と、同時に、人生は原理的に絶望であることも忘れじと肝に銘じている。読者諸彦、この国は何もかも殆ど全てが狂っています。まともなのは私とせんだみつお氏だけです。民主主義が行き過ぎた結果、バカが増長し、優秀な者が抑圧される社会になってしまいました。「活動的なバカほど恐ろしいものはない」。ゲーテの至言であります。

少なき常人

カウンターの定位置に納まり、ロックグラスに氷を落としながらふと想う。私の周囲に於いても離縁せし者甚だ多し。10や20の数ではない。夥しいばかりの者が激しく離婚している。離婚の原因は様々であろうが、婚姻生活の欺瞞を悟り、離婚に至った者の精神は極めて正常かつ健康的である。既婚者には通底する重大で決定的な誤謬がある。婚姻生活とは、己のあらゆる欲求を双方が徹底的に押付け合うという凄まじい醜さを伴った行為であり、品性の欠片も無い下劣極まる蛮行である事実を認識していないのだ。そしてこういった人権蹂躙的婚姻生活を日々繰り返すうちに、人間が人間たる所以の多様かつ繊細な感性は鈍磨し、人間の尊厳を保つべき自我は摩滅する。多くの者が婚姻行為に走る主因は、相手に対する愛情や信頼などでは全く無く、実は周囲と同調同化し、愚かなる大衆の一員として社会に埋没し溶け込むことによって安寧を得んとする深層心理の働きであることに他ならない。そもそも人間という高等動物は、他者と密着した共同生活を送ることを快とする生き物ではない。もしそれを快とする者があるなら、それはマゾヒストという変態だ。婚姻生活は悲惨だ。たとえば私が朝目を覚ます。紫煙を燻らせながら呆けていると、ややもして便意を催す。すわ脱糞かと立ち上がり、雪隠の戸に手を掛けるや誰か入っている。嗚呼何たる不愉快。私はこれが赦せない。断じて赦せない。脱糞妨害赦すまじ。而してこれこそが婚姻生活であり夫婦であり家族なのである。私は即座に希求する。誠不便不快につき私専用の雪隠を拵えてくれと。だが、この要求が通る事はまずない。何故なら、こういった私の要求を徹底してゆくと、最終的には別居するしかなくなり、家族生活が成り立たなくなるからだ。果たして、婚姻生活や家族生活の実態なるものは、主要な生活備品を共有することそのものなのである。そう!婚姻生活とは家族生活とは、便器の奪い合いなのだ!私には、夫婦や家族といった空々しい欺瞞集団に参画し、日々便器の奪い合いを繰り広げるような馬鹿げた生活を送る事などとても出来ないし、私の品性がそれを赦さない。不愉快なことを不愉快と感じなくなることほど恐ろしいことは無いし、一度麻痺してしまった感受性は二度と元に戻る事は無い。既婚者の読者諸彦、さあ勇気を出して下らない便器の奪い合いから脱却し、人間の尊厳を取り戻そうではありませんか。いや、それでも夫婦は、家族は素晴らしいと言う貴方。貴方はマゾヒストであり変態の狂人です。正常なのはこの私なのです。いつの世も、真実を語る者は少数派なのです。

ぢろ諸法度開陳

皆様コマンタレブー。さて、私の如き戯け者にあっても、女郎風情に婚姻を迫られしこと幾度か。あにはからんや、私は婚姻を是とす。尚にして、女の気質性質に拘る事此れ全く無し。悪女、魔女、痴女、奇女、浪費家、吝嗇家何でも御座れ。何故なら、所詮人間は相手と分かり合うことなぞ絶望的に不可能なのであるからして、女の人間性などどうでも良いのだ。但、容姿についてはこれを看過することはならぬ。決して醜女はいけない。衆人羨む麗人でなければならぬ。アグネスラム似であれば尚好し。巷間、美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れるなどと云われる。しかしこれは真っ赤なウソであり大間違いである。宅の前を流るる川はドブ川より清流が好き事と同様、樹木希林より大原麗子を好むのは至極当然ではないか。女も景色も容子好き事に勝るもの無し。斯くして、私は婚姻を是とするにはするが、それは厳しき条件あってのことである。その条件こそ、此処に著わす『ぢろ諸法度』也。遠く昔日、幾人かの婦女子に婚姻を迫られるやいなや、私はこの『ぢろ諸法度』を突きつけたのである。以下に記す。

一つ  人間は理解しあうことなど絶対に出来ないという真理を日々強く念じ、それを行動規範とすること。

二つ  互いに経済的、精神的な完全自立を目指し、一刻も早いその実現に向けて最大限の努力を以って激烈に邁進すること。

三つ  湯、雪隠、寝床はそれぞれ各自専用のものを設け、決して混同せぬこと。ましてや、同衾なぞ以ての外。

四つ  家中においては極力接触を避け、止むを得ず接近する場合は極限の礼節を尽くすこと。

五つ  互いの生活に干渉すること、また関心を持つことの一切を堅く禁ず。

六つ  友人知人の共有を禁ずるは勿論のこと、親戚付き合い、近所付合い等の無意味な人間関係を全面的に断絶すること。

七つ  会話を望む場合は主題を厳格に定め、己の叡智を総動員し、その主題に沿ってどちらかが完全に論破されるまで激論を繰り広げること。その主題は、政治経済、思想哲学、時事問題及び、せんだみつお論に限り、知的向上の見込めぬ俗談の類は此れを厳に慎むこと。

八つ  金品授受の一切を禁ず。

九つ  死病に罹りしは迷わず逐電し、以降便りを絶つこと。

十   不幸にも離縁に至りしは、互いに最高峰の弁護士を徴用し、死力を尽くして激闘を晒すこと。

 

私がこの法度を示すや、女郎共は凡て速やかに目前を去った。霊長とやらは、醜悪で卑劣で狡猾、そして誠に不愉快な存在である。互いに接触は極力控えるが好し。然らば皆々様ごきげんよう。      

 

民は繁草を食み肥えるのみ

日本を訪れた外国人は大抵の場合、「日本は素晴らしい。安全で清潔で、人々は親切で優しく穏やかで、あらゆる事が快適だ」と感じるらしい。確かにそうかもしれない。ものを深く考える行為を自覚無く棄去し、眼前に横たわる社会問題に向き合おうともせず、ただ唯々諾々と時流に身を委ね、何ら主体性無き生活を送るこの国の衆愚にとっては、日本ほど安楽で居心地の良い社会は有り得ないであろう。果たして福一はどうなったか。懸命の収束作業も虚しく万策尽きて、収束どころか手の施しよう無き悪化の一途を辿っているのだ。ところがところが、福一ボムから三年半以上を経た現在、御目出度きニッポンの民民は、原発事故なぞ所詮他人事、放射能なぞ何処吹く風、まるで何事も無かったかの様にノホホンと生活している。この恐るべき鈍感さ、無神経性に、私はひたすら唖然とするばかりである。フリードリヒ ニーチェの言葉を借りれば、畜群とは正にこの状態の大衆を指しているのであろう。平和ボケなどと言う安直で手垢の付いた文句を使いたくは無いが、その畜群とやらが平和ボケでいられる時世が終焉を迎えつつあるのは間違いない。自らは決して戦地で戦う事の無い為政者どもが、「畜群よ!銃を担って友軍に加勢せよ!」と叫び始めた。更なる隷属を求め、畜群の背中に烙印を押さんとしている。優秀なる畜群が蓄積した富を覇権狼藉国家に差し出そうとしている。

 

国民一般の、政府の命令に服従して不平を言はざるは、恐怖の結果なり

麻布聯隊叛乱の状を見て恐怖せし結果なり

元来日本人には理想無く、強きものに従ひ

その日その日を気楽に送ることを第一となすなり

 

荷風のこの一文が、畜群の魂に響くことはないのか。

鉋屑

それは江戸の昔、寛永の頃でした。在木曽の山中、藁葺き屋根は朽ち崩れ、塗り壁は剥がれ落ち竹編み剥き出し、障子なぞ有って無きが如し、文字通りの荒屋より、夜も明けきらぬ未明、独りの男児が染みだらけの小さき風呂敷包みを背負って出立しました。児の名は太郎吉、齢八つ、背丈四尺一寸。太郎吉が目指すはお江戸日本橋芳町です。八つになったばかりの太郎吉が、六十里を超える行歩を遂げ、果たして日本橋芳町に辿り着けるのかすら定かではありません。しかし前途多難は覚悟の上で、太郎吉は旅立たねばなりませんでした。生来の怠け者に加えて、手の付けられない放蕩者であった父親は、太郎吉が生まれた時には既に酒毒に侵されていました。太郎吉が五つになった頃、遂に酒毒が脳味噌に廻ったか、父親は発狂し、裏の肥溜めに飛び込んで死んでしまいました。其の時、狂った父親が飛び込むのを止めんとした太郎吉の姉も、父親諸共肥溜めに落ち、哀れクソ死にとなりました。そしてかねてより同じ集落に住む人々から顰蹙を買っていた父親は、この糞死を機に味噌漬け父娘と呼ばれ、物笑いの種になりました。父親と姉を同時に失った太郎吉は、その後母子二人きり、芋粥にありつく事さえ難しい惨憺たる赤貧の暮らしに耐えていましたが、たった一人の肉親であった母親も瘧に罹り、先月の事、突如口から泡を噴き、白目を剥いて、それはそれはおぞましい形相を最期にコロリポクリと落命しました。悲運不幸が掛け合わさり、幼年八つにして天涯孤独となってしまった太郎吉でしたが、放蕩の限りを尽くしたあの父親の子とあっては、ただでさえ貧しき集落の中に食わせてくれる人など居るはずもありません。しかしそれでも、朽ち果てた荒屋の下、野草を齧っては糊口を凌ぎ、、日に日に痩せ細ってゆく太郎吉を見兼ねて、集落に住む或る男が奉公の口を取り持ってくれたのです。その奉公先が日本橋芳町の指し物職人、権造でした。他に生き延びる方途があるでなし、太郎吉は幼心に己の命運を受け入れ、草鞋を履きました。集落の厄介者であった太郎吉が居なくなると聞き、それは清々するとばかり住民は皆喜び、厄介払いの餞別に白米の握り飯、麦飯、乾飯、梅干、干し柿など、沢山の兵糧を太郎吉へ差し出しました。太郎吉はその餞別を、死んだ母親の繕い痕も痛々しい小さな風呂敷で後生大事に包み込み、背中へ廻しました。そして生家である荒屋の脇の、干上がりかけ、落ち葉が混じり、便所コオロギの死骸が浮いた古井戸の水を古びた竹筒へ満たすと、集落の一同にペコリと小さく辞儀をくれて、独り弱々しい足取りで一歩二歩と歩きだしました。生まれてこの方今日の今日迄赤貧暮らしであったせいか、その性根に染み付いた用心深さに加え、生まれ持った吝い質も手伝って、太郎吉は集落の皆がくれた兵糧になかなか手を付けませんでした。稗や粟を日頃の糧としていた太郎吉にとって、特に白米や麦の握りなぞは見るも初めて、手に取ればその神々しいばかりの重みを覚え、軽々に口に入れる事など出来ません。太郎吉は、空腹に耐えかねると餞別の乾飯をひと摘み食し、竹筒の水をひと口啜る。これを繰り返しながら一路日本橋芳町へと、ひたすら歩き続けました。荒屋を発って三日を過ぎた頃でしょうか。太郎吉は、自分の体が異な臭いを醸している事に気付きました。風呂はおろか行水も出来ず、汗と埃と脂にまみれた躰を拭くのも忘れ、歩みを継続すれば、これちと臭かろうも仕方なし、と思っていましたが、「いや、ちとおかしい」、太郎吉が己の団子鼻をひくつかせると、その異な臭いは躰からではなく、背中の風呂敷包のものであると判りました。休憩がてら路傍の石に腰を下ろし、風呂敷包みを解いてみると、嗚呼!なんたる無念!!行路出立の折、集落の人々から授かった餞別のうち乾飯と梅干を除いて、白米の握り飯、麦飯、干し柿の全てが腐れていたのです!太郎吉の双眸からは悲涙が溢れ、汚れた風呂敷を濡らしました。この世に生を受けてこんにちに至るまでの太郎吉の生活は、日に一度でも何か口に入れば御の字というその日暮らし。食べ物が余るなどということは一度たりともありませんでした。それ故、食べ物が腐るという事さえ、太郎吉は知らなかったのです。「なんてこった、こんなことになるのだったらさっさと食っちまえば良かった」。太郎吉は我の愚かしさに地団駄を踏みつつ、しかし一つ一つ丁寧に、黴びて異臭発するその腐れた兵糧を路辺に並べました。そうすると、太郎吉の風呂敷の中身は、残り僅かとなった乾飯と梅干、予備の草鞋、そして集落の男が書いてくれた日本橋芳町の指し物職人、権造へ渡す紹介状のみになってしまいました。太郎吉は、擦り切れ捌けた着物の袖で涙を拭い、すっかり小さくなった風呂敷包を袈裟に懸け、しょんぼりとうなだれて、また歩きだしました。歩き始めて十間も進んだ時、太郎吉が路辺に並べた黴び腐れの兵糧を、数羽の烏が争うように啄み始めました。さて、八つの児の足では一日五里も進むのが精一杯。僅かに残っていた乾飯と梅干も最早食い尽くしてしまった太郎吉は、時折道にすれ違う他人に物乞いをし、点在する民家を訪ねては兵糧の無心を重ねて遮二無二前進しました。行路の道すがら、陽が落ちるまでに土地々々の寺を探し当て、夜はその軒先を借りて雨露を凌ぎ眠ったのでした。これがもし冬月の折なれば、太郎吉は一晩と持たず凍え死んでいたでしょう。しかし暖かな時候であったとは云え、馴れぬ土地にたった独り、闇夜に響く野犬の遠吠えや鵺の叫びに、太郎吉は言い知れぬ戦慄を覚え、疲れた躰が休まる事はありませんでした。一日五里。兎にも角にも太郎吉は歩を進めました。太郎吉の母も幼少の頃、尾張の商家へ奉公していました。生前その母から、奉公暮らしの辛さ厳しさを頻頻と聞かされていただけに、太郎吉は、この辛苦極まる行路の果てに、その上なおも辛酸を嘗めるが如き累日が待ち構えているかと思えば、闇より暗く、涙も凍る心持ちになりました。それでも太郎吉は歩を緩める事はありませんでした。足の爪は割れ、豆は破れ、その傷痛に耐え、ずんずん歩きました。八つの児が自覚出来ぬにせよ、太郎吉を支えたもの、それは人間の本能である命への執着、もしくは自身の未来に対する一縷にさえ満たぬ微かな光であったのかもしれません。木曽の集落を発って半月、太郎吉はとうとう江戸へ至りました。しかし其処は日本橋芳町までもう一息の神田岩本町でした。予備の草鞋も三里を残した辺りで擦り切れ壊れ既に裸足、懐にある畳んだ風呂敷の中身は奉公先の権造に渡す紹介状だけでした。疲労困憊、精根尽き果て、太郎吉はもう一歩も動くことが出来ずその場にへたりこんでしまいました。それに加えて、江戸なる処のあまりに人の多いこと、太郎吉はただただ瞠目するばかりです。しかしそのまま道端にしゃがみ込んでいてもどうにもなりません。太郎吉は死力を振り絞り、目の前の雑踏にむかって叫びました。「日本橋芳町の権造さん!日本橋芳町の権造さん!」。応ずる者など居るはずもありません。それどころか「なんでぇ!この泥団子みてぇな汚ねぇ餓鬼は!邪魔だ!どきやがれ!」と、急ぎ足の男に蹴飛ばされてしまいました。蹴飛ばされた弾みで地面に顔をしたたか擦り、太郎吉の左の頬は血が滲みました。太郎吉は泣きませんでした。泣くことも出来ぬほど疲れ果てていたのです。なお諦めずに、太郎吉は叫びました。「日本橋芳町の権造さん!日本橋芳町の権造さん!日本橋芳町の権造さん!」。太郎吉の声は枯れ行き、だんだん小さくなりました。その時です。雑踏の中から一人の小柄な男が太郎吉に近づき、「おい小僧!芳町の権造親方になんの用だ!俺ぁ権造親方のことなら良く知ってるぜ!」と言いました。太郎吉の目に一条の光が射しましたが、もう返事をする気力もありません。太郎吉は無言で、懐の紹介状を男に渡しました。「ほう、そういう事か。話は分った。権造親方の処まで案内してやるぜ。付いてきな、、、、、。お、てめぇ立ち上がれねぇほどくたびれてやがるのか。よし、それなら権造親方にこいつを届けてやらぁ。そこで待ってな!」。男は紹介状を手に走り去りました。するとほどなくして、大八車を引き押しした中年の夫婦が現れました。「おめぇが太郎吉か」。権造が声をかけると、太郎吉は膝を抱いてしゃがんだまま力無くコクリと頷きました。「良く来た、良く頑張った。もう大丈夫だ。安心しな」。太郎吉は筵が敷かれた大八車へ抱き上げられ、日本橋芳町の指し物職人、権造の家に向かいました。どれだけ眠ったでしょうか。太郎吉が目を覚ますと、そこは狭いながらも隅々まで掃除の行き届いた小奇麗な座敷で、枕元には権造の女房、お由が静かに正座していました。「おや、目を覚ましたかい、よほど辛い道中だったんだろう、ようく眠っていたよ。さ、粥を作ったからお食べ、ゆっくりでいいんだよ」。お由の勧めに太郎吉は躰を起こし、純白の米粥にうずらの卵を落とした茶碗を受け取りました。艱難の行路の後とあって、太郎吉の躰は其処此処に痛みが走りましたが、そのうずらを落とした米粥を一口啜った刹那、白米の芳香、うずら卵の甘みに心を奪われ、躰の痛みなど消し飛んでしまいました。結局太郎吉は米粥を五杯も平らげ、そのままバタリとまた眠ってしまいました。次に目を覚ました時、今度は権造が心配そうな面持ちで枕元に立ち、太郎吉の顔を覗き込んでいました。「よぉ太郎吉、どうだ、起きるか、御機嫌か?」。権造が声をかけると太郎吉は、慌てて起き上がり正座して、親方である権造に精一杯の挨拶をしようとしました。「太郎吉よぉ、堅い挨拶なんてぇもんは後回しだ。良く眠って腹が張って精を付けたら仕事の前に湯だ。なんてったって朝湯は気持ちが良いぜぇ。由に着替えを貰って来い。朝湯だ朝湯」。権造は、慥かな腕を持った指し物職人でしたが、堅苦しい昔ながらの仕来りを嫌う、ざっくばらんな男でした。権造と一緒に湯屋を出てきた太郎吉は、まるで殻をむいたばかりのゆで卵の様に、ツルリときれいになっていました。権造とお由は実に気立ての良い夫婦で、時に厳しく、時に優しく、太郎吉を我が子の如く可愛がり、育てました。それもその筈、権造夫婦は二年前、最愛の倅を不慮の事故で失っており、その倅が生きていれば今の太郎吉と同い年なのでした。太郎吉は太郎吉で、母親が生前語っていた奉公の苦労話に比して、今の自分の境遇が如何に恵まれたものであるか、その望外の幸せに感謝せずにはいられませんでした。一方、仕事の面でも太郎吉は、真面目にせっせと下働きに勤めながら、親方である権造の巧みな指し物技を覚えてゆきました。元々勤勉実直だった上に、自分でも今まで気付かなかった指先の器用さという天賦の才も手伝って、太郎吉はみるみる腕を上げました。太郎吉が権造の下で指し物職人の修行に入って三年が経った頃、芳町近くの堀留町に、二郎助といういかにも目付きの悪い少年が八丁堀から移り住んできました。二郎助は太郎吉より三つ上、目付きも悪ければ性根も曲がったヤクザ小僧。どこでかすめて来たか、いつも左手に三寸煙管を弄び、夜ともなれば小僧だてらに酒場に出入りし、酒を食らっては呑み逃げを繰り返す甚だ質の悪い愚連者でした。二郎助は、親方の遣いに町を歩く太郎吉を見つける度に悪事に誘い、自分の子分にしようと画策しましたが、真面目一本意志堅固の太郎吉がそんな話に乗るはずもありません。ある夜、いつものように二軒三軒と呑み逃げを重ね、追手から逃れた二郎助は、首尾良くただ酒を呑めた事に気を良くしたか、「掘留の二郎助がこれしきの酒で酔ってたまるか!どうだこの通りだ!」などと独りうそぶいて、江戸橋の欄干に躍り上がりました。二郎助は更に図に乗り、その欄干の上を綱渡り宜しく歩きだし、二歩三歩、、、五歩目までは良かったが、六歩目がいけなかった。六歩目で足を滑らせた二郎助は、日本橋川にこそ落ちなかったものの、その江戸橋の欄干に己の股間をしたたかと打ち付け、哀れ片玉となってしまいました。片玉になって以降の二郎助は、すっかり大人しくなり、時によっては女言葉をチラホラと話す様になりました。そして巷で、二郎助の事をカマ二郎と呼ぶようになった頃、二郎助改カマ二郎は、悲しいかな男色の苦界に身を堕としたのでした。はてさて、太郎吉は昼も夜も無く働きました。権造親方の下、芳町での暮らしは小僧という立場にありましたが、木曽山中の、あの食うや食わずの貧寒とした日々に比すれば、極楽と言っても良いものでした。しかし、太郎吉は現状に甘んずることなく、心を引き締め己を律し、職人修行に励みました。その太郎吉の働きぶり、指し物の才を聞きつけ、近頃芳町界隈では、権造の弟子に太郎吉あり、とまで言われるようになりました。そして太郎吉が権造の弟子となって八年も過ぎると、その指し物師としての力量は、既に名人権造親方に比肩する域に達していました。そんなある日、太郎吉が小箪笥の天版に使う欅材に一心不乱と鉋を引いている時、並んでホゾ組みをしていた権造親方が声をかけました。「太郎吉よぅ、ちょいと手を止めろ」。「はい、何か仕事に手抜かりが御座いましたでしょうか」。太郎吉が居住いを正して権造親方に向き直ると、「いや、そうじゃねぇ、おめぇの仕事に手抜かりなんぞあるはずもねぇ事は俺が一番分かってらぁ。そんなケチな話じゃねぇ」、権造親方は続けました。「桃栗三年柿八年ってのは、ありゃ本当だ。おめぇも俺の処へ来てもう八年。何処の誰が見たってもう俺と殆ど変わらねぇ仕事をするじゃねえか。もうおめぇに教えることは何も無え。柿の実がなったってこった。あとは経験を積むだけよ。そろそろ独り立ちしちゃあどうだ」。太郎吉は膝の拳を固く握り締め、「親方、そりゃあ身に余るお言葉です。有り難う存じます。でも、でも、、親方も先刻承知の通り、あっしは木曽の山奥から身一つで出てきた山出し小僧。江戸で店を開くような金銀はびた銭一枚ありゃしませんし、此処を出されたら往くところも無え。どうかこの太郎吉をこのまま此処に一生置いてくんなせえ。どうかこの通り願います」と懇願しました。すると権造は目を細めて、「太郎吉、おめぇはどこまでも堅気な野郎だな。俺あますます安心したぜ。おめぇに銭金が無えなんてことは百も承知よ。芳町の権造を見損なっちゃぁいけねえ。おめぇの独り立ちの用意ぐらい真っ平調い済みよ。神田紺屋町の空き店を買ってよう、なんなら明日からでも仕事が出来るように道具も何もあらかた揃ってるぜ」。太郎吉の拳は小刻みに震え、つむった瞼から溢れる涙が止まりませんでした。左様目出度く独り立ちと相成った太郎吉は、決して気を弛める事なく、職人は一生修行とばかり、止むことなき研鑽を積み続けました。指物師として、太郎吉の作った品物の評判は高まるばかり。注文が次から次へと舞い込みます。独り立ちして二年が過ぎた頃、ひょんな事から太郎吉は、在板橋村出身、おわい屋の娘お百合と知り合いました。お百合は、「あの面提げて百合を名乗るたぁお笑い種だ!」と近所で馬鹿にされるほどの不器量娘。まあ何と申しましょうか、破れ提灯に目鼻を付けたような、甚だ醜き女でした。しかし気立ては良く正直な上、働き者でした。太郎吉はお百合の不器量など全く意に介さず、その心の美しさに惚れ込み、ほどなく祝言をあげました。さあ!仕事も家内も順風満帆!太郎吉の作った、小箪笥、や長火鉢は、「百年使っても不具合無し」と下町中で言われるほどになり、注文に手が追いつかない日々が続きました。それから幾年経ったことでしょう。幸せは永く続かないのが世の常。ある時を境に、太郎吉の指し物は全く売れなくなってしまいました。何故なら、太郎吉の作る指し物は評判通りの品物で、いくら使っても全く壊れないため、買い換える必要がありません。そして殆どの所帯に行き渡ってしまった結果、もう新たに買ってくれる人がいなくなってしまったのです。太郎吉は困りました。困り果てました。お百合に話したところでどうにもなりません。そこで太郎吉は、芳町の権造親方の処へ相談に行きました。しかしその頃権造は、長年放置していたイボ痔が悪化し寝込んでおり、何を聞いても「尻が痛い、、、尻が痛い、、、」と嘆くばかりで話になりません。権造の女房、お由はと言えば、これがなにをトチ狂ったか、いい年をして外に男を作り、権造がイボ痔に苦しんでいる隙を見て、その男と出奔してしまったのでした。太郎吉は仕方なく自家に戻って何時もの作業場に座り、「一所懸命に仕事をすると何故飯がくえなくなるんだ!手を抜かず丁寧に良い品物を拵えると何故仕事が無くなっちまうんだ!」と悔しがりながら、鉋を引きました。注文が入らずとも、ひたすら鉋を引き続けました。ほどなくして権造親方は、イボ痔が破裂し、流血過多にて絶命しました。権造が死んで三日後の事、仕事場の真ん中で、太郎吉が仕事用のノミを胸に突き立て、自害に斃れているのをお百合が見つけました。太郎吉は品物の天版に使う欅材に突っ伏し、その髪には沢山の鉋屑が付いていました。太郎吉が自害して百年後、江戸庶民の家では太郎吉の拵えた指し物がまだまだ現役で使われていました。そして神田、日本橋界隈の人々は、「太郎吉の拵えた小箪笥の天版に耳を当てると鉋を引く音が聞こえてくる」と言って、いつまでもいつまでも大切に使い続けたそうです。 以上、浮世の不条理は常のこと、江戸の昔から平成に至るも、この世は何の進歩も無きが如し、というまこと哀しき物語でした。  おしまい。

 

節介御免

世間一般の視座に立てば、私は著しく不親切な人間の部類に入るであろう。而して、他者から親切にされる事も好まない。その第一義的因由として、私は極めて厳しい自己戒律に則って日常生活を送っている事が挙げられる。連朝の起床直後に行う顔面体操(これは私が幼少時に閃き編み出した比類なき覚醒法であり、この顔面体操を行うやいなや、瞬時にシャッキリと目覚め、全身に膂力が漲るという驚愕の効果を齎す)に始まり、猿股の畳み方まで、私のその行動様式は全てが厳密に決定付けられているのである。私の自己戒律は、その厳しさはもとより、数も膨大で、ここに全てを記すことは到底出来ないが、幾つか具体例を挙げてみたい。毎週火曜日の午前9時15分に私は鼻毛を切る。如何にしてこの曜日時刻に定置されたのか、すっかり失念してしまったが、これは24年に亘って続いている事で、絶対にやめるわけにはいかない。この鼻毛切除に使用する鼻毛鋏は生半な品ではなく、私が東奔西走し、艱難辛苦の果てに探し当てた究極とも云える逸品であり、その鼻毛鋏を巧みに操り、毎週火曜日午前9時15分という刻限(午前9時14分や16分でも駄目である)、己の鼻腔にしつこく蔓延る忌々しい憎き鼻毛を徹底的に滅多斬りとするのである。私は絶命の刻が迫るまで、何が何でも毎週火曜日午前9時15分、鼻毛を斬り続けるであろうから、この傾刻には如何なる予定も割って入ることを断じて赦さない。毎月第一木曜日と第三木曜日の午前8時40分には、愛用するサロメのガスライターにガスを補給し、石の減り具合を点検の後、十回ほど点火⇒消火を繰り返し着火率を検める。着火率が8割を上回れば問題なしと判じ、そのまま継続使用となるが、万が一にも着火率が8割を下回った場合、鞄の中に忍ばせてある全く同じスペアのライターと直ちに交替する。そして厳格なぢろ蔵基準値から外れ、ぢろ蔵の面前にて粗相を犯したその不届きライターに悪罵を浴びせ、即座に修理の手続きを執行する。毎月第一第三木曜日午前8時40分、私は心ノ臓がその動きをやめんとするまで、老いさらばえ痩せ細り石にかじりついても着火率点検を断行する。するとまたしても、毎月第一第三木曜日午前8時40分は、所生長眠となろうが、その決定を猶予することは出来ない。甲州印伝白漆トンボ柄煙草入れのポケットにはそのライターと、江戸印伝白漆トンボ柄楊枝入れが忍ばせてある。江戸印伝白漆トンボ柄楊枝入れには、小舟町さるや謹製特別誂え、全長二寸からなる威風漂う黒文字が六本、更には銀細工両国銀政謹製入魂の作、純和銀楊枝が一本、静かに納まる。何故使い捨ての黒文字と、工芸品ともいえる銀楊枝の二種を携行しているのかと言えば、黒文字は須らく歯糞用、銀楊枝は観賞用なのだ。馴染みのカウンターにて次なる調烹を待つ少時、私はくさぐさの妄想に耽って遣り過ごすが、やがてその妄想にも厭きると、件の銀楊枝を徐に取り出し、ためつすがめつ弄繰り回す。時にはその銀楊枝で己の掌をちょいちょいと突き、その痛みに身命を覚える。私にとってこの銀楊枝は、呑み屋における独酌の無聊を慰める為の、欠くべからざる小道具として重責を担っている。通う呑み屋も曜日毎に確定しており、そのそれぞれの呑み屋から帰宅する徒歩順路も周密に練り上げられた完璧ともいえるものだけに、深夜の道路工事なんぞでぢろ蔵順路を妨害され、迂回を強制された日には、あたかも靴を左右逆に履いているかの様な不快感に襲われると同時に、赦し難い怒りがこみ上げて来る。貧家に戻るや履物を脱ぐが早いか手文庫を開け、使った分の黒文字を補給する。黒文字六本、銀楊枝変わらず一本、元通り雁首揃ったところで90分の書見が始まる。サルトルからのらくろまで、ぢろ蔵の知の蓄積は、斯くなる丑三つ時をもってしめやかに営まれる。カント、キルケゴールなぞは、老来甚だしきぢろ蔵の脳漿にあって、ハラリハラリと頁の二三も捲れば夢中へと誘う恰好の妙薬となる。酒毒に侵されしぢろ蔵の脳が、その失神と同意とも云える漆黒の闇より輪廻流転覚醒するは、決まって虎三つの刻。双眸に行灯の光明を映し己の命脈を検めるや放屁を一つ二つ。此の日もまた生きねばならぬ浮世の辛さ虚しさ怖ろしさにわななきつつも、大欠伸とともに二度寝に落ちる。ぢろ蔵二度目の目覚めはこれまた決まって卯三つの刻。渋渋の離床後、前陳件の顔面体操へ突入する。思いつくままにざっと述べただけで、これほどの自己戒律を挙行せねばならぬ。此の他の戒律を列挙すれば、頭の剃り方、爪を切る日時(手の爪を切る日時と足の爪を切る日時は別である)、洗濯の方法(ぢろ蔵は洗濯の鬼であり、洗濯について、ゆうに一冊の本が書けるほどの鬼気迫る激しき執念を燃やして日々洗濯に臨んでいる)、電子辞書の電池を交換する日時、腕時計のネジを巻く日時、靴を磨く日時、亀のエリザベスに餌をやる日時、空気清浄機のフィルターを交換する日時、音波振動歯ブラシを充電する日時、柳橋小松屋で佃煮を購う日時、アメ横ヤヨイの店員の、アメカジについての薀蓄を聞きに行く日時、職場のプリンターに用紙を補給する日時、自宅の灰皿の吸殻を捨てる日時、靴下に穴があいていないかどうか点検する日時、リステリンを小さな携行ボトルに移し変える日時、週に一度「男はつらいよ」を自宅で観覧する日時(寅さんを週一で観るとちょうど一年で全作となる)、いやはや書いても書いても書ききれない。私の生活は、精緻に練り上げられた、これら無数の決まりごとを厳格に徹底的に完璧に遂行することによって、精神的、肉体的なバランスが絶妙に保持されており、どれか一つが欠けるも断じて容認ならない。もしやその一つでも欠けるや、その精妙かつ繊細な均衡はあっさりと崩れ、私は生地が破れた気球のように失墜し、入れ歯が外れた爺の如く、フガフガになって床に臥してしまうのである。お判り頂けただろうか。私は忙しい。自らに課したこれほどの決まりごとを日夜果敢に、そつなく精確にこなさなければならず、その緊張感や重圧たるや想像を絶するものであり、常人であれば一日と持たず精神破綻することであろう。永年に亘る、極めて厳しくも激しき剣の道に勤しむことによって、尋常ならざる精神力を鍛え上げてきた私でさえも、もう毎日毎日ヘトヘトのクタクタである。斯くなる甚大な事由により、私は他者に対し不親切で冷酷にならざるをえない。他者から親切を受ける暇も、他者に親切にする時間も持ち合わせていない。ぢろ蔵は、真実日々激忙なのである。

主無き肉塊

東日本大震災に見舞われた東北、関東に於いて、あれほどの大災害にも拘らずパニックを起こす事も無く、マナーの良い秩序立った行動に終始した日本人(厳密には東北人と関東人)を海外のあらゆるメディアは賞賛し、感嘆の声をあげた。未曾有の大惨事とあって、お情け半分の外交辞令とも言えようが、当事者である関東人の私はその報道に接し、嘲りを含んだ失笑を禁じえなかった。海外メディアによる日本人メンタリティの分析、見解は極めて稚拙且つ表面的なものでしかなく、『日本人の心には現代も根強く神仏の精神が宿っている』、『日本人は如何なる局面に於いても、感情を抑制する崇高な倫理観を身に着けている』などと伝えていた。笑止千万噴飯ものである。では、年々歳々バカの一つ覚えの如く繰り返される、春の狂宴花見の後の、恐竜が吐瀉物をぶちまけたかの様なあの惨状は如何であろうか。昼下がりのファミレスで、縦横無尽に走り回る幼児を放置したまま談笑に耽るあの知能指数の低い母親達は如何であろうか。産地偽装された放射能被曝食品が全国に出回っている現状は如何であろうか。混雑した地下鉄にベビーカーを押して平然と乗り込んでくるバカ親は如何であろうか。このような、誰の日常にも起こり得るお粗末な状況を想起すれば、日本人に高い倫理観が備わっているなどとは、とても言えないのではないか。震災時、少々の混乱はあったにせよ、秩序を保った行いを可能にした素因は、日本人の倫理観や道徳心に含まれるものではない。それは、日本人特有の集団意識なのである。日本人は常におずおずと四囲を見渡し、自分一人が他者と異なる行動を取る事を極度に恐れる。決してその自らの行動の正誤を自問することなく、珈琲に入れる砂糖が如く唯々諾々と周囲に溶け込み、波風を立てずにその場をやり過ごそうとする。そして、そういった態度こそが、分別のある大人だと言わんばかりの澄まし顔をしているのだ。過日、東京都下の陸運局へ赴いた時のことである。私の手続きは途中であったが、杓子定規な昼休みの為、木っ端役人共は中座してしまった。仕方なく私も中食とするかと陸運局の外に出た。陸運局というものは、大抵街外れの閑散とした荒地に押しやられ、周辺には碌な飲食店が無いのが通例であり、やはりそこも例外ではなかった。辺りを歩いても、寂れた代書屋数件と看板の錆びた小さなガソリンスタンド、やっているのかいないのか判らない自転車屋、中途半端にシャッターが開いている電器屋などが並ぶばかりで、飲食店らしきものは見当たらなかった。諦めて陸運局に戻ろうと通りを一つ入ったところ、日当たりの悪い住宅地の中に一軒のラーメン屋がぽつねんと、薄汚れた紅い暖簾を揺らしていた。『中華料理 萬陳楼』。萬でも陳でも構わぬが、他に選択肢があるで無し、戸を引いて中に入るや、七十路に至らんとする老夫婦が、その些か衛生状況に問題がありそうな店を切り盛りしていた。周囲に競合店の全く無きが故か、逆賭に反して客入りは芳しく、私が独座すればほぼ満卓であった。私がラーメンと半チャーハンを言いつけると少時の間をおき、脊背を丸めた老婆がよろよろと、それを運んできた。斯様な僻地に旨い店など在る由もなく、決してその味に期待なぞしていなかったが、供されたその代物の不味たるやそれにしても甚だ酷いもので、私は、こんな嗟来の食が如き食餌は畜生にでも食わせよとばかり、ほんの少し箸をつけただけで止めてしまった。すっかり不興顔となった私が紙巻に火を着け、煙を呑みながら他客を見渡すと、皆一様にその悪味料理が載った皿鉢に、何ら疑問を抱くこと無きが模様でガツガツワシワシと喰らい付いている。それら他客の食いっぷりは、私の味覚が異常なのかと思わせるほどのものであった。そうこうしていると大方の客は、在東京都下萬陳楼謹製世紀のお粗末料理を食い終わり、やつがれ同様紙巻を吸う者、スマホを捏ね繰り回す者、連れと談笑する者など、皆それぞれ食後の一服とあいなった。私が二本目の紙巻に火を着けると、一服終わった一組の客が立ち上がり、己の食い尽くした皿鉢を、老婆が立ち働く洗い場のカウンターへと運んだ。するとどうであろう、それを見ていた他の客も、鼻の穴からふてぶてしく煙を出し続ける私を尻目に、次から次へと己の皿鉢を洗い場のカウンターへ運び始めたのである。この不気味ともいえる光景を目の当たりにし、虫唾が走った私は、即座に老婆へ問うた。「これこれそち、そこの醜きオババよ。この小汚き店は食い終った皿鉢を客に片付けさせるのが規則か。郷に入っては郷に従え、規則は守らねばいかん。規則ならば余も大人しく従うぞ。如何じゃ」 「いえいえ何を仰いますか何処ぞの御住職様、規則などでは御座いませぬ。お客様がご親切で運んで下さっているだけです。どうかそのままでそのままで」 「なぬ!失敬をぬかしおって!ますますもって聞き捨てならん!ならば片付けぬ客を不親切だと言うか!その言い分では片付けよと婉曲に強要しているのと同位ではないか!」 「はは、滅相もございませぬ。どうか御勘弁を」 「フンっ!余は片付けぬぞ。片付けてなるものか!この戯け者めが!」。眼前に立ち現れる事象を無批判に受け入れ、思考停止に馴れきった浅薄者は、この粛々と皿鉢を運ぶ客の流れを見て、それをマナー善き行動と言うだろう。しかし、読者諸彦はお気付きかと信じたい。この客達は、己の脳で考え、自らの判断で皿鉢を運ぶべきと考えたのではない。ただ先行者に付き従い、猿真似をしたに過ぎず、しかしそれでありながら、その行為全体をマナー善きものとして信じて疑わないのである。彼らがまるで憑かれたように皿鉢を運ぶのは、自分だけ皿鉢を運ばずに知らん振りしていると他の客に非常識だと思われるから、マナーの悪い下品な奴だと思われるから、老夫婦が懸命に働いているのに手を貸さぬのは冷酷だと思われるのが嫌だからなのである。如何に皿鉢を運ばぬ事に正当性、合理性があっても、誰か一人が皿鉢を運び始めた瞬間、彼らの思考は止まる。そして次から次へとひたすら前者の模倣を続けながら、したり顔で私のような人間を嘲り蔑視する。地下鉄のエスカレーターで、急ぐ者の為に右側を空けんと整然と左側に身を寄せて乗るあの無表情で、あたかも看守に見張られた囚人が移動しているかのような群集を目にする度に、私は背筋が凍る思いがする。エスカレーターとは、駆け上がるものではない。駆け上がるのなら階段にせよと云っても彼らは聞く耳を持たない。論理も倫理も合理もそこには存在しないからだ。そこにあるのは理と知が排斥された、日本社会特有の吐き気を催すような低レベルのメダカ型模倣原理なのである。日々一所懸命に仕事をし、所帯を保ち、童児を育て、休日は趣味に興じる。私とは対極を成す生き方ではあるが、そこに知が含まれていれば、その行為一つ一つに理が宿っていれば、私はそれを否定しない。しかし理知欠乏の生活に甘んじている者を、私は徹底的に侮蔑する。猿でも餌を採ってくる。猿にも家庭がある。猿でも子供を育て、遊びに興じる。そして猿はおろか犬でも猫でもカラスでも、本能的にその程度の生活を営む。これら畜生と人間との差異は、その行動原理においての理知の含有率に収斂されるのではないか。理知の鍛錬という、人間が人間たらんとする必須条件を無意識のうちに忘却し、人としての主体性を失った主無き肉体は、ある極点に達した刹那、凶行に奔る。発狂したドブ鼠の如く、おぞましい共食いを始める。そして肉体は肉塊へと化す。能面を着けた主無き肉塊は、暴走するカルト資本主義の更なる加速装置としてそのグロテスクな醜態を晒した挙句、支配者から無価値と断ぜられた途端に生ゴミ同様、遺棄されるのである。

喜劇王曰く

この場で屡次申し上げているように、累宵の酒場通いは私にとって篤学の頃刻である。独酌を旨とし、酔いに負けじと苦海の万象を掘り下げる。考えて考えて、掘り下げて掘り下げて掘り下げ過ぎてブラジルの地面を突き破って顔を出してしまうのではないかと気を揉むほどだ。大抵の場合、「過去と現在と未来の境目はどこにあるのか」とか、「〔点〕や〔線〕というものは本当に存在するのか」とか、「インコとオウムはどう違うのか」とか、「犬の嗅覚は著しく発達していると言われているが、それならどうして他所の犬のウンコにあれほど鼻を近づけて臭いを嗅ぐのか」とか、「市場原理は本当に良いモノを生むのか」などの普遍的課題について沈思黙考している。そんなことを考えながら夜毎杯を傾けていると、何処の誰かが私の隣に坐すのは尋常だ。或る夜、宮仕えと思しき二人連れが私の隣を占めた。両人どちらも素面には見えず、既に何処かで引っ掛けて来たようだ。が、決して不愉快な客ではなく、適度な声量で会話していた。その座談を聞くでもなく聞かぬでもなく、私がぼんやりと竹露を舐めていると、彼らはそれぞれ熱燗を一つずつ空け、小一時間にてそそくさと店を出た。彼らの次に私の隣に現れたのも二人連れ。一人はやはり背広を着た宮仕えらしき男、一人はバージニアスリムライトにカルティエのライターを近づけ、気だるそうに火を点す水商売風の女。歳の頃なら四十過ぎ、馬喰町辺りのションベンスナックのママといったところか。彼らもまた、私の不興を買うようなこともなく、私も彼らの雑談を聞こえてくるがままにしていた。深夜の呑み屋にありがちなこの士女が引けるとその夜は、しぶとくカウンターにしがみ付く私のみとなった。〆の山葵茶漬けを待っている少時、当夜私の隣で回転したその二組の客の会話を思い返していると、驚愕の事実に気付いたのである。私はそれを確認せんと、その後暫く来る夜も来る夜も様々な隣客の話に耳を澄ました。愚にも付かぬ酔客談義に辟易としながらも、辛抱強く耳をそばだてた。果たして、私の逆賭に狂いは無かった。酒場での客の会話をよくよく聞いてみるとほぼ例外なく、なんとなんと!私の計測で平均して10分に一度は皆カネに纏わる事に言及していたのだ!円ドルレートがどうの株価がこうのといった経済情勢から、あそこの弁当屋は確かに旨いが御代がちと高い、あの野球選手の年俸は幾らだ、あそこであれを買ったら幾ら引いてくれた、給料が上がらない、小遣いが少ない、客単価が落ちた、売り上げが云々、まあホントにカネの話ばかりしているのである。今の今まで気付いていなかったが、これには心底仰天したと同時に、言い知れぬ苦々しさと、どんよりとした虚無感が脳内に充満した。現代を生きる人間の心胸は、これほどまでカネに侵食されてしまっていたのか。私ももはや旧い人間と云われる齢に達したことは否定しない。私は、人前でカネの話をすることは下品下劣で、さもしく賎しい行為だと厳しく断ずる家庭教育を受けた。カネは人間の生活に物質的豊かさを齎すことは間違いないだろう。しかしその一方でカネは、それによって享受した物質的豊かさを遥かに上回る勢いで、人間が長い歴史の中で築き、磨き上げてきた倫理観や道徳心を蝕み、呆気なく崩壊させる恐るべき負の力を帯びている。であるから、必要以上にカネを欲しがらず、必要以上にカネに近付かず、稼いだカネは全てさっさと使ってしまう。それこそが、一人の人間が清廉の士たらんとする鉄則だと、私は双親に口を極めて言われてきた。それがどうであろう、私が縁としてきたものは、ことごとく、徹底的に否定される社会となってしまった。もはや私の様な者は、時代遅れと嘲笑されそうな、その縁に囚われておずおずと生き、じめじめと死んでゆくしか道は残されていないのであろう。かつて、『地獄の沙汰も金次第』という言葉は、懐寂しい庶民が冗談混じりに自嘲の笑いをもらすものであった。それが冗談混じりの自嘲の笑いではなく、額面通りの現実に成り果てたのだ。現在も色褪せぬ魅力を保ち続ける多くの名作を遺した喜劇王チャールズチャップリンは、「人生に必要なものは勇気と想像力、そしてほんの少しの金だ」との名言を吐いた。この言葉に初めて触れた時私は、チャップリンとはなんという嘘つきなんだろうと感じた。今でも彼の子孫が悠々と暮らしてゆけるだけの莫大な資産形成を成し遂げた人物が、のうのうと「ほんの少しの金だ」などと奇麗事、絵空事をよくも言えたものだと憤慨した。しかしその後私は、チャップリンのこの言葉が、彼の心根から生まれた全く正直なものであることに気付き、そして得心したのである。極貧の中に生れ落ちたチャップリンは、その非凡な才能と行動力を武器に、更には奇跡的とも言える幸運も手伝って貧困から自力で這い上がり数多の富を手中に収めた。そしてチャップリンは覚醒したのだ。あれほど欲しかったカネが、貧しかった時にあれほど必要だったカネが、己の眼前に札束になって山と積まれている。その前に立った時、彼はそのカネというモノが、人間性をも殲滅しかねない猛毒であることを悟ったのだ。そして「たくさんはいらない、ほんの少しであれば良い」と言ったのだ。カネは麻薬だ。中毒になってしまえばそこから抜け出すのは容易ではない。今後もこのカネまみれの社会は更に加速するだろう。しかし少なくとも、酒の席でなんら恥じる事も無く恬然とカネの話をするような鉄面皮は、私の目の前から消えて頂きたい。

 

暖簾が靡けば

湯に入って尽日の塵垢を流せば、私は猿股一丁蓬けたように紫煙を燻らせる。肉体労働者は美禄より湯を先んずるのだ。間も無く、予め電話を入れてある「人形町W」へと猛進する。毎夜毎晩の事とは言え、私は如何なる見世にも必ずや予約を入れてから出掛ける。これは、些少でも己の思い通りに事が運ばぬと、瞬時にカッとなり逆上する私の質が引き起こす不行跡を事前に防ぐ為に他ならない。然らば、私の一切の行状に行き当たりばったりなどと言う事は決して有り得ず、何事に対しても常に用意周到諸事万端、眼前に不測の事態が起ころうとも直ちにそれを収拾すべく要慎を極め、怠り無き光瞳で四囲を睥睨することしきりなのである。三、四分の行歩の末、狭き階梯を昇り入店し後ろ手に引き戸を閉め、黒目を左方に向ければ、専用の箸と杯が主を待つ。私は左利きであるから、無論、箸の持ち手は左向きに置かれていなければならない。これを罷り間違って、持ち手を右向きに置かれようものなら、たちまち私の心持は掻き乱され、その掻き乱された心持が快復するまでの暫し、眉間に皺を寄せる時が流れる。箸と杯が私専用なのは、何もこの手の酒場で無粋な常連風を吹かせんが為では断じて無く、それは先に記した私の質からくる癇症の所為だ。この見世は、酒好し、割烹好し、板前の気質好し、と三拍子は良いが、惜しまれるは箸が割り箸ではなく使いまわし箸なのである。抜かりなく清めてあれば衛生的に何ら問題無き事は十分に承知している。ただ、妄想激しき私の胸は、幾ら清めてあるとはいえ、何百、果ては何千となる何処ぞのオイリーオヤジ達(私も存分にオヤジではあるがオイリーではない)が舐めまわし、しゃぶり尽くした箸先で、神々しいばかりに輝く赤身を摘む事を許さない。さすれば、私の眼下には日本橋黒江屋謹製、輪島塗の箸が持ち手を左とし、静かに横たわる。はてさて、初冬も迫った先般、常の如く斯様な段取りを経て止まり木の左隅に納まり、銀鱈の西京焼きなぞ突付きつつ安酒を呷り始めた。止まり木には、ぬめぬめとした上等な生地の誂え物と見える背広を纏った御仁が独り、私の二つ隣で物静かに白子ポン酢を口吻へと運んでいる。静粛な滑り出しに満悦の私は、西京焼きの後も酒を呷っては巻き湯葉の揚げ出し、呷っては海老蓮根、呷っては地鶏の湯葉揚げと注文を重ね、独り興奮の極致へと達し、いよいよとばかり、「夢中へ誘う地鶏の水炊きを!」と叫んだ。所在無く煙草に火を付け、湯葉揚げを食い尽くした皿の文様を寄り目になるほど凝視し、今か今かとその登壇を待ち侘びれば、ついに小振りな鉄鍋に仕込まれた水炊きが己の湯気の中から現れる。眼鏡を曇らせ、一も二も無く齧り付かんとした刹那、背中で引き戸を開閉する音がした。しかし私はその客が隣に止まった事にも構わず鶏を頬張り、白菜を含み、その白濁したえも言われぬ出汁を啜った。あまりの滋味に興奮冷めやらぬ私が杯に酒を注ぎ足し、乱れた鼓動を制せんと二本目の煙草を咥えると、私の食い振りがあまりに浅ましかったのか、「美味しそうな鍋ですね!」、まだ座ったばかりで付き出しもお絞りも供されていないその隣客が問いかけてきた。眉目をそちらへと向ければ、これが見目麗しき大年増。この手の婦女は大抵の場合、自らの美しさを十分すぎるほど自覚している。そしてその美貌を武器に話しかければ、相手が誰であろうと目尻を下げた快い応答が返ってくると思い込んでいる。この大年増の、その溢れんばかりの自信に満ち満ちた瞳と、計算され尽くした卒の無い笑顔を認めた時、私は瞬間的にそれを全て見抜いた。嗚呼!なんと愚かで通俗的な麗人であろうか!この極め付きの臍曲がりのぢろ蔵を、夜ともなれば蛆虫の如く発生するそこいらの酔漢と同列に判じ、与し易しと見たこの大年増のバカさ加減!ぢろ蔵は問いかけに一句発する事無く、大年増の妖しい光華を帯びた瞳孔を睨め付けながら焼酎をぐいと呷り、再び水炊きへ舞い戻った。大年増は、予想外の私の態度に憤懣やる方なかったであろうがしかし、その憤懣を容顔に顕す事は自尊心が赦さなかったと見えて、これまた練達の、居丈高な冷笑を私に浴びせた。私は呑み屋で独酌している時、他客から話しかけられるのが大嫌いなのである。財力があれば、私が通う店全てを、私が参上する時は常に私独りの貸切にして欲しいくらいだ。呑み屋での隣客が、私の与り知らぬこの世の秘密を私だけにコッソリと教えてくれるなら話しかけられても良い。私が昔年から抱いている哲学的疑問にズバシ!と答えてくれるような叡智界に生きる人であるならば、喜んで話を伺いたい。そして私の商売が、明日にでも大繁盛となり、顎が外れるまで笑いが止まらぬような生活に昇華させる秘訣を伝授してくれるなら、額づいてもその話を拝聴したい。だがしかし、そんなことは有り得る筈も無い。呑み屋の酔客談義など、当たり障りの無い話か、何処かで聞いたような話、はたまた何度も聞いた同じ話の繰り返しが相場であり、関の山だろう。あのひたすら相槌を打ち続ける疲労感、翌朝になれば昨夜の話など微塵も憶えていない虚無感。それがどうしても厭なのだ。「美味しそうな鍋ですね!」と私に問いかける事になんの意味があろうか。ぢろ蔵が目を血走らせて食んでいれば、それが美味である事は当然至極ではないか。酒場くんだりで他客と投合し、酔いも手伝って共感を演じ合うあの弛緩した気持ち悪さ、馬鹿馬鹿しさを味わうのは御免だ。ぢろ蔵の話は堅いと言われる。上等だ。話に堅いも柔らかいもあるものか。知的向上心を失った輩との会話など真っ平なのだ。ぢろ蔵は極限まで真理に肉薄しつつ死を迎える為に、それを阻まんとするあらゆる外敵と日夜激闘を繰り返しているのだ。それはそうと、当夜の顛末はぢろ蔵の失策でもあった。水炊きの魔力に取り付かれ、その滋味に我を忘れて没入し、ついつい気が緩んでしまった結果、普段であれば、無意識のうちに発している筈の強烈な「僕ちゃんに話しかけないでねオーラ」が弱まってしまったのである。同じ過ちを繰り返すに至っては、それを最大の恥とするぢろ蔵は一計を案じた。小舟町の襖屋へと馳せ参じ、携帯用の屏風を作らせたのである。次回より隣客との境には、この特別誂えの屏風を立て、如何なる攻撃をも容赦なく排斥する所存であります。

儚き金言

マハトマ ガンジーは、『7つの社会的罪』として、以下の言葉を遺したそうである。1.理念なき政治 2.労働なき富 3.良心なき快楽 4.人格なき学識 5.道徳なき商業 6.人間性なき科学 7.献身なき信仰。ガンジーのような聖人君子に、私は憑信の念を抱く事が出来ない。何故なら、ガンジーとて、やはり結局のところ権力志向特有の怪しさを纏った人間であり、またその怪しさが放つ一種異様な臭気に感応せずにはいられないからだ。しかしながら、そうは言ってもこの7つの言葉を現代社会に当てはめた時、それはもう物の見事に的を射た指摘と言わざるを得ないのではなかろうか。この上なく美しい音楽を奏でる演奏家の心が、必ずしもその音楽と同様に美しいわけではないように、人心を震わせる言詞を紡ぎ出す詩人が、必ずしも人格者ではないように、この7つの至言が、ガンジーのような幾許かの胡乱な芳香を漂わせる人物によるものであってもなんら不思議はなく、それは甘受すべきであろう。これらの金言に一定度の批判を加えつつ、ここに考察してみたい。1.理念なき政治。果たして、人類史上政治に理念なるものがその支柱として屹立していたことがあったか。国家の本質が暴力であることは真理として疑いようもなく、それが指し示す暴力に論理的整合性を持たせんがために、また言い換えれば正当化せんがために国民を欺き、奴隷化、家畜化を図るのが政の役儀であることを率直に認めるのであるならば、この1つ目の指摘はあまりにも至当と言えよう。内閣総理大臣をはじめ、現在の閣僚の面々を思い浮かべるがよい。まともな感性を保った人間が、彼らの醜く歪んだ顔貌、その濁りきった汚らわしい眼球を視界に認めた時、吐き気を催すと共に失笑を禁じえないであろう。政を好んで離合集散を繰り返す者などは、押し並べて人格破綻者としか言いようがなく、その異常人格者の集団に理念を希求することそのものが、甚だしい誤りなのである。よって、ガンジーのこの1つ目の指摘は、社会的罪というより、糞尿にたかる蛆、蝿の所業と断じたい。いや、こう言っては蛆、蝿に失敬か。2.労働なき富。ガンジーの謳うところのそれは、具体的に何を指すのか。究極の不労所得とは、やはり土地所有によって利益を上げる行為であろう。土地という極め付きの有限物質を奪い合い、占有することによって得られる利沢は、たとえそれが一国内の個人のうちに合法的ではあっても、それを巨視化した場合、国家間の土地の奪い合い━領土紛争、侵略、植民地化━と、戦争に直結する本質を根源的に孕んでいる以上、倫理的、健康的とは言えまい。土地であれ何であれ、何物かを占有して利金を手中にせんとする専行は、人間という愚かな生物に普く内在するさもしさを剥き出しにしたものに他ならない。3.良心なき快楽。これはこの7つの格言の中で最も説得力に乏しい。そもそも、良心に満ちた快楽などというものがあるのだろうか。人間が嗜好する如何なる快楽も、それは絶対的に悪を内包する。私が愛して止まない酒、煙草はもとより、美食に溺する快楽、惰眠を貪る快楽、動物を愛する快楽、釣りを愛する快楽、花を愛でる快楽、音楽に酔う快楽、スポーツを愛する快楽、読書を愛する快楽、愛車を疾駆させる快楽、女性(男性)を愛する快楽、更には子供を産み育てる快楽、これら何れにも間違いなく、その細部に悪は宿っているのである。快楽とは、人間のエゴイズムが変容を遂げた一形態であり、良心に満たされた快楽などというものは、人間生活において全く存在し得ない。おそらくガンジーの言わんとするところは、たとえれば「酒も煙草も遊びもほどほどに」といった程度のものなのだろう。しかし冷徹な私は、こういったガンジーの思考の浅さと、哲学的視座の欠落をここに見るのだ。4.人格なき学識。これはガンジーの言葉を待つまでもなく、学識者における人格なぞ遥か昔日に崩壊している。学問と資本主義が昵懇 nononoののnの仲となって以来、人格なるものは学問の世界から、塩を浴びたナメクジの如く消滅せしめたのである。今や学問は殆ど例外なく、産業界への技術転用を目的とした、たんなる技術開発機関としての存在意義しか有しておらず、そこに人格を定置することは不可能に近い。5.道徳なき商業。商いとは、当然私の仕事も含めて元来卑しいものだ。100円で仕入れたものを150円で売り捌くのであるから、如何なる弁明をしようとも、そこに卑しさがつきまとうのは避けられない。もちろんガンジーはその卑しさに気付いていたであろう。であるからこそ、商い特有の卑しさの暴走を抑制せんと道徳の楔を打ち込むことを訴えたのだ。しかしそれも叶わなかった。我々が生活を営む日本社会を省みれば、消費税をびた銭一文納めていないトヨタ(消費税を納めていないのはトヨタだけではないし、それは一応合法である)が日本を代表するお墨付きの優良企業であると胸を張っている。笑止としか言いようがない。道徳や倫理を徹底的に遺棄した制動不能な市場原理主義に抗おうにも、鉄面皮という言葉を投げつけるのがせいぜいなのだろう。6.人間性なき科学。全ての科学技術の源泉は軍事開発でしかない。我々の日常生活における利便性を支える工業技術のもとは、人殺しの技術である。日本における原子力技術開発が、発電を隠れ蓑にした核開発であることが好例として見て取れるように、仮に科学に人間性を感じる事があっても、それは殆どの場合、軍事技術を民間転用したに過ぎないのだ。7.献身なき信仰。私のような折り紙付きの俗物は信仰について語る資格は無い。 以上見てきたように、ガンジーが遺したこの社会的罪という金言に厳然と通底するものがある。それはカネだ。福島第一原子力発電所が爆発したことの原因も、地震ではなく、津波でもなく、その正体はカネである。「カネより大切なものがある」 「世の中カネが全てではない」。こんなありきたりな美辞麗句を並べ立てようとも、残念ながら世の中のほぼ全てのかけがえの無いものが、いつの間にか、我々がうかうかしているうちに、カネというインチキ紙切れにすり替えられてしまった。信用創造という悪辣な詐欺にまんまと引っかかってしまった。ガンジーほどの人物をもってしても、資本主義の暴走を食い止めることは出来なかった。我々は、放射能より遥かに恐ろしいカネに汚染され、カネの奴隷にされてしまったのである。我々は、放射能より、戦争より、天変地異より、カネを恐れ、カネの魔力から遠ざかるべきだったのだ。

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