2011年2月

カウンター左隅における思惟

週に一度の休日にブランチを食べに行く店がある。知る人ぞ知る地味で小さな名店だ。開店時刻を15分も過ぎると、すぐに満席になってしまうので、私は朝湯の後、何時も11時の開店時刻にぴたりと店に参上する。美々しいほどに磨きこまれた白木のカウンターの左隅が定席だ。左利きであるからして、隣客と肘が喧嘩しない様に、何処の店でもカウンターの左隅を定席にしている。カツレツを肴に昼酒が始まる。ただでさえ繁劇な店であるし、昼酒の長っ尻は野暮天の極み、ぐいぐい呑んでぺろりと喰って、とっとと二軒目に流れる。流れ先の話はまあそのうちにって事にして、先度の休日、このカツレツ屋に定刻定席着席。天色のせいか客足も遅く少ない。珍しく板場の料理人が声をかけてきた。「毎度有り難う御座います」 「うん、ここのは旨いからねえ。世辞じゃないよ、ホントだよ。不味かったら毎週毎週馬鹿の一つ覚えみたいに通いやしないよ」 「嬉しいねえ」 「きっとなんか他人にはわからない秘訣ってもんがあるんだろうねえ。技って言うのかな」 「秘訣?別に秘訣も技もなんにもありゃしませんよ。嘘じゃありません。材料だって全部近所のスーパーで売ってるもんと同じですよ。実際、材料足りなくなるとそこのスーパーで買ってくることもあるし。何処でも売ってる材料で当たり前に丁寧に作ってるだけ。ただね、化調、化学調味料って奴ね。あれはいけません。ありゃインチキだね。あんなものを使った料理を平気の平左で客にだすなんて、あたしにはとても出来ません。化調とか食品添加物とかね、プロの料理人が使って恥ずかしくないのかね。だって手抜き、誤魔化しでしょ。そういう店はどんなに口で上手い事言ってても腹の底では客を馬鹿にしてるんだ。手抜き、誤魔化しのインチキ料理を客に出してるんだからね。売れりゃあいい、儲かりゃそれでいいってことなんだろうねえ。そんなね、アルバイトでも素人でも作れるような料理を出す店ばかりだからこんなクソ面白くない世の中になっちまったんだろうねえ。もっとも、そんなインチキ料理を旨い旨いなんて喰ってる客も間抜けだけどね」 「ま、おれもそう思うね」 「いやね、あたしだって一歩店を出りゃあハンバーガーも喰えばインスタントラーメンも食べますよ。だけどそれはそれ。店で客に出す料理に化調なんて使うのはプロとは言えないね。恥知らずだね」 「確かにさ、化学調味料って独特の味が舌に残るよね。あの感じですぐにわかるよ。あ、この店化学調味料使ってるなって。客にすればがっかりだな。二度目は無いね」 「家庭料理とかインスタント食品だったらいいんですよ。別に化調を使ったって。もともとそういうモンなんだから。だけどさ、客からお代を頂くプロの料理人が化調を使うってさ、もう話になんないよね。ホント呆れるだけ。ま、今はそんなインチキ料理人が殆どだけどね」 「そうか、特別な材料なんて使わなくても手をかけて誤魔化さないで丁寧に作ればこんな旨いもんがちゃんと出来るんだね」 「お客さんにそう言ってもらえると嬉しいけど、あたしはそれが普通だし当たり前だと思ってるよ。今日はちょっと演説しちゃったな」 「いや、好い話を聞かせてもらったよ。旨かった。御馳走様」、とまあこんな具合の話を聞いた。化学調味料を使っている飲食店に言わせれば、「今さら何言ってんの?みんな使ってるでしょ。何が悪いの?」ってところだろう。実際、化学調味料を使う事は犯罪ではないし、些細な事かも知れない。しかしこういった些細な事の積み重ねが、プロとしてのプライドや倫理観の崩壊を招き、一時世間を賑わした食品偽装問題や賞味期限改竄問題、船場吉兆の食べ残し使いまわし事件に発展した気がするのである。その後、私が夜な夜な通う割烹の板前にも聞いてみた。「化調?冗談言っちゃ困ります。あんなもの使うんだったら商売やめますよ」 「頼もしいねえ。ここの出汁は抜群だもんなあ」 「ウチの料理の味が薄いって言うお客さんがたまにいるんですよ。でも俺はわかってるんです。そういうお客さんは化調で味付けした料理の味に慣れ切っちゃってて舌が麻痺しちゃってるんです。だから化調が入ってないと何を食べても味が薄く感じるんでしょうね。ここだけの話ですけど、そういうお客さんは板前に笑われてるんですよ」 この店も決して高級店ではない。ごく普通の店構えの良心的な勘定の店だ。こんな誇り高い店が身近に沢山ある地域で宵を過ごせる事実を思い返す時、私は感佩措く能わずといった心境に至るのだ。飲食の世界に限らず、ありとあらゆる業界で、毛唐仕込みの市場原理主義とやらが蔓延り、 真偽よりも、倫理よりも、真理よりも、品質よりも、安全よりも、更には人命よりも利潤を優先する途轍もなく破廉恥な社会に成り下がってしまった。プロの料理人の大半が、躊躇う事無く化学調味料を使っているという恥ずべき現実が、この浮世のザマを象徴しているのではないだろうか。

美しき諦観

さて、客歳の葉月であったと思う。都内で音楽学校の理事を務めている畏友から、職業演奏家を目指す学生(18から20歳前後、約800人)の壮行会を企画しているので、そこで一時間くらいの枠で話をしてやってほしいとの依頼を受けた。少し悩んだが、私は条件付きで承諾した。その条件とは、私の講演のテーマ及び内容について一切のタブーを設けない事、また、挨拶程度の割り当て時間の短い弁士であっても月並みで形式的な美辞麗句や無責任な励言を連発しかねない愚かな人物はその壮行会に呼ばない事、そして、私語、不規則発言、ヤジなどマナーの悪い学生が居た場合、その場で瞬時に制圧、排除、撲滅出来るよう、SWAT並みの質が高く強力な警備員を十分に配備する事、更に、当日この条件が一つでも満たされていないと私が判断した瞬間、私はその場で話をやめ、立ち去る事を認める事、の4点であった。畏友は「まあね、Jちゃんの話が辛辣だってことは勿論わかってるし、そういう話をしてもらってね、生徒たちに現実の厳しさを知らしめる為にJちゃんに来てもらう訳だからその条件は守るよ。大丈夫だから心配しないで」と言ってくれたので私は彼の言葉を信じて12月の当日を迎えた。およそ800人の学生ばかりでなく、彼らの一部の親まで来場した為、来場者は1200人に達し、会場は満員御礼の札止めであった。司会者の軽佻浮薄で無味乾燥な壮行会の説明と挨拶に続いて、理事である畏友の挨拶となった。私の紹介も交えながら5分という短い枠の中で、彼一流のユーモア溢れる話を私は感服しながら聴いていた。ところが!ところがである。畏友の放った最後の言葉がいけなかった。「それではプロの演奏家を目指す学生の皆さん、私の挨拶はこれ位にして本日の講演に移りたいと思いますが、勇気と!希望を!強く持って努力を続ければ!夢は必ず叶う!という事を忘れないで下さい!!」と、事もあろうに過日私と4つの約束を交わした畏友張本人が、ステージの袖でいよいよ出番かと鼻息を荒くし、両手をわなわなさせて待ち構える私の面前で、私が蛇蝎の如く嫌う美辞麗句的無責任発詐欺行き励言を力を込め(たふりをして)て叫んだのである。これはいけない。断じて許すわけにはいかない。私は誇らしげな表情で袖に戻ってきた彼に詰め寄り、「なんだ今の最後のひとふしは!ああいう世辞やおべんちゃらを言う奴は呼ばないって約束しただろう!それをあろうことか貴様が言ってどうする!!しかもその最後のひとふしは相当力んでたぞ!やめだやめだ!俺は帰る!」 「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ。わかってたんだけどつい言っちゃったんだよ。綺麗な言葉で締めくくらなくちゃ恰好がつかんだろう。帰るなんて困るよ。後できちんと詫びるからさ、とにかくほら、早く出てくれよ。頼むよ」 「ダメだ。俺は真実を語らん奴は嫌いだといつも言ってるだろう。貴様は今、若者に対して大ウソをついた。俺は帰る。そういう約束だ」 「勘弁してくれよ。お前が話してくれなきゃどうしようもないだろう。子供みたいな事言うなよ」 「上等だ。子供で結構。帰る」 お互いの腕を掴みあい、こんな愚にも付かぬ鍔迫り合いを演じていると、名前を呼ばれても一向に登壇しない私に業を煮やした司会者が血相を変えて袖に飛び込んできた。「あ!二人でなにやってるんですか!Yさん(私の苗字)早く出て下さいよ」 「厭だ!こいつが約束を破ったんだ!俺は帰る」 「なんの約束だか知りませんけどね、いい加減にしてくださいよ!何度呼んでも出て来ないと思ったら、この期に及んでこんな所で口論してるなんてどういう事ですか!」 「おのれ!司会者の分際で口を挿みおって!何を言うか!黙れ!帰る!」 「あのですね、Yさん。会の進行が滞りますとね、司会者である私が困るんですよ。私のペナルティになっちゃうの。自分のミスでペナルティを受けるのだったらまだしも、貴方のわがままで私がペナルティを受けるのはまっぴらです!!」。この司会者、体もデカイが声もデカイ。なかなかの迫力である。傍でカサコソと畏友も司会者に加勢している。俄然私は分が悪くなってきた。「おのれの事情なんか知った事か!司会者風情の指図は受けん。帰るぞ!」 「いい加減にしろ!客だって待ってるんだ!早く出なさい!!」と司会者の雷鳴のような一喝を食らいつつ私は二の腕を掴まれ、袖の口まで強制連行された。やはり司会者はかなりの剛力であった。私も必死の抵抗を試みたが司会者の膂力を御しきれず、私と司会者は、まるでお粗末な社交ダンスを踊るが如き甚だ不体裁な様相でもつれ合いながらステージに登場する羽目となってしまった。私は演台におさまり、大力司会者は私が逃げ出さないよう後ろから両肩を押さえている。何事が起ったか知る由もない客席の生徒達は、一様に鳩が豆鉄砲を食らったかの様な表情で静まり返っている。私が逃亡を諦め、話を始める気になった事を悟ったのか司会者は私から離れマイクを手に取り、「いま控室で若干のトラブルがあり、お待たせしてしまいました。こちらが本日の演者Y口J郎さんです!それでは時間も押しておりますので、早速ですが本日の演題『絶望を生きる』をお話しいただきましょう!Y口さん、どうぞ!」 戸惑いの拍手。 「皆さん!只今御紹介に与りましたY口で御座います。始めに、私は一つ一つの事をきちんと詳らかにしませんと前に進めない質でありまして、本題に入る前に今なぜ皆さんをお待たせする事になってしまったのか、簡単に御説明させて頂きます。先程私の前に挨拶したS理事は私の愚友であります。この度の講演をお引き受けするにあたって、私はS理事と幾つかの約束を致しました。S理事は先程の挨拶の中で、その約束をいきなり破ったのです。ですから私は帰ろうとした。しかしS理事は駄目だと言う。帰る、ダメだ、そんな罵り合いをしているうちに遅れてしまいました。皆さんをお待たせしてしまい失敬致しました。では今日の演題であります『絶望を生きる』と言う事について話を始めたいと思います」 貧弱な拍手。「先程、S理事が挨拶の終わりに放った言葉、勇気と希望を強く持って努力を続ければ夢は必ず叶う。これは全くの出鱈目、真っ赤なウソ、大ウソ、極めて悪質な詐欺であります。日本における公教育は全くと言って良いほど真実、事実、現実を教えません。建前だけを刷り込み、人間の根底に潜む醜悪な要素や、解決不可能な事象を全て必要以上に美化し、瞞着し、現実を直視する事の枢要性を教えない。当然ですが、私も含めて皆さんは幼少の頃から、今説明した様な究極とも言える似非教育を受けてきたのです。この似非教育に何ら疑問を抱かず、唯々諾々と受け入れてきた人間の代表がS理事であり、あのような無根拠で小恥ずかしい科白を平然と吐くのです。私はこういう愚かで安直で悪辣な嘘は申しません。真実、事実、現実のみを方直に皆さんにお伝えします。まず結論から先に申し上げましょう。人生は絶望の連続です。むしろ絶望しかないと言ってもいい。皆さんがどんなに抗おうが絶望の壁は絶対に打ち破る事は出来ない。それほど絶望の壁はどこまでも厚くひたすら高い。では何故人生は絶望なのか、明らかにしてゆきたいと思います。S理事の言葉が出鱈目である事は既に指摘致しましたが、その言葉を逆手にとれば、勇気と希望を強く持って努力を続けても、殆どの場合夢は叶いません。実例を挙げましょう。私の或る知人は、勇気と希望を強く持って努力を続けたが、6回連続で司法試験に落ち、今でもその消し去る事の出来ない過去の恥辱にさいなまれ、著しく不貞腐れ、堕落した生活を送っています。彼はそんな不貞腐れた女々しい男ではなかった。いつも溌剌とした清々しい奴だった。では何故彼は今の様なジメジメしたカビが生えそうな人間になってしまったのか。それは自分の頭の悪さ、才能の無さを率直に認める事が出来ず、絶望を受け入れる事が出来なかったからです。分不相応で無謀な挑戦を続け、当たっては砕け、当たっては砕けを繰り返しているうち、徹底的に、まるで嘲笑うかのように自分を退ける司法試験というものに深い恨みを抱くようになってしまった。そして心は屈折し、目つきは悪くなり、荒れ果てた人格に変貌し、日毎六法全書を踏みつけにしているそうです。また、別の或る知人は、思いを寄せる女性に勇気と希望を強く持って迫り続けた結果、相手の女性に気味悪がられ嫌われ、挙句の果てにはストーカー呼ばわりされ、警察沙汰に陥り、対人恐怖症になってしまいました。今では私としか話が出来ません。またまた別の或る知人は芸大の日本画を目指し、勇気と希望を強く持って努力を続けたが、5浪の末挫折という目を覆いたくなるような惨憺たる結末となってしまいました。当時、このあまりに凄まじき惨状を聞いた私は彼を励ましてやろうと思い、5浪かあ、、、大変だったろうなあ。じゃあ今日からお前のあだ名は野口だな!がはははっ!とやってしまった。この私の一言で彼はますます落胆してしまい、今でも毎日、平山郁夫の悪口を言って過ごしています。今挙げた例は、決して特殊な事例ではありません。程度の差こそあれ、夢破れた者は皆このようになります。そして、勇気と希望を強く持って努力すればするほど、夢の破れ目は大きくなり取り返しのつかない事になります。夢が叶う者と夢が破れる者との差は何であるのか。それはひとえに才能です。才能が全てです。分かりやすい話をしましょう。私は野球なんぞに何の興味もありませんが、イチローという選手くらいは知っています。彼は非常にたくさんのヒットを打つそうですね。では私が今からイチローと全く同じ内容の練習を毎日繰り返したとします。勿論この際年齢は無視します。私は彼と同じ数のヒットを打てるようになるでしょうか。聞くまでもありませんね。打てませんね。絶対に。私には野球の才能がないからです。ですから全ては才能なのです。才能の無い者が、どんなに勇気と希望を強く持って努力を続けても夢は破れるばかりです。更にこの才能という物は、ほんの少しの者にしか与えられません。しかしだからといって、才能があり、夢を成し遂げ成功した者の言葉を信じてはいけません。彼らは自分と同じように努力すれば誰でも夢を目標を達成できるかのような虚言を弄します。自分には類稀な才能があり、他者には自分と同じレベルの才能が無い事を知りながら、聞こえのいい麗句を吹聴します。自分の人生を美談に仕立て上げ、成功の上に更に名声を得ようとします。彼らの言葉に絶対に騙されてはいけません。彼ら才気溢れる人物たちのサクセスストーリーは、持って生まれた才能に加え、その才能を最大限に発揮できるような幸運に恵まれるという極めて特殊な例であり決して一般化できる話ではないのです。皆さん既に気付いているでしょうか。今日ここに集まって頂いた皆さんのうちで、プロの演奏家になれる人は全体の1パーセント前後でしょう。そのなかで一流の演奏家になれる人は更にほんの一部。演奏家として生涯を過ごせる人など更に更にほんの一部です。皆さん。こんな確率の低い馬鹿馬鹿しい博打は今すぐにやめましょう。自分の才能の無さを素直に認めましょう。無駄な努力をしつこく続けると、人格もねじ曲がり、夢破れた時の被害はますます甚大になります。真っ当な仕事に就き、日々絶望と向き合って生きて下さい。音楽など所詮単なる遊びです。遊びで飯を食おうなどとは何と厚かましい事でしょうか。ふざけるにもほどがある。しかし、厚かましい事、ふざけた事であっても天才だけは許され、認められます。そして夢を叶えた者であれ、夢破れた者であれ、行き着く先は結局のところ死である事、即ち人生の終着駅は死と言う絶望である事を直視し、逃げることなく見つめ続けて下さい。リヒテルも、ミケランジェリも、グールドも確かに稀に見る天才達であり、信じ難い程の秀逸な演奏を残しています。でも彼らの残した演奏だって人類が絶滅し地球が燃え尽きてしまえば、宇宙の彼方で完全に消滅してしまうのです。人類の絶滅までは、上手くいってもあとせいぜい数百年でしょう。さて、私がここまでとめても、まだどうしても音楽をやりたいという人はやれば良いでしょう。しかし間違っても、有名になりたいとか、一流になりたいとか、世界に羽ばたきたいとか、音楽史に名を残したいとか、あさましく、さもしく、下品でみっともない目標は掲げないで下さい。貴方が唄を唄ってくれなくても、ピアノを弾いてくれなくても、ギターを弾いてくれなくても、ドラムを叩いてくれなくても、困る人は誰もいません。所詮殆どの人に才能など無いのですから、むきになって練習せず、肩の力を抜いて、自分が楽しい演奏をして下さい。夜、三軒茶屋の駅前で、たまにCHUTA君というギタリストがソロで弾いています。彼はまだ若く発展途上で演奏は未熟だけれど、実に味のある、力みのないメロウギターを弾きます。最近私は、マヌエル・バルエコより、バーデン・パウエルより、マーティン・テイラーより、CHUTA君みたいな気負いのない演奏の方が好きになりました。皆さんも機会があったら是非彼の演奏を聴いてみてください。最後にもう一度申し上げます。皆さん。人生の結末は死という絶望です。何をやっても人間は結局死にます。人間は皆、生まれながらにして絶対的死刑囚なのです。この厳然たる事実を胸に刻み、片時も忘れることなく、しかと見つめながら絶望を生きて下さい。人生は絶望ですよ!!」、とまあ内容はかなり端折ったが、音楽家を目指す若き生徒たちに一時間に渡って熱弁を振るったのである。話を終えた私が控室で着替え、一服しているとドアのノックが聞こえた。ドアを開けると会場の関係者に導かれたであろう若者が約10人。「貴方達は誰ですか」 「客席でYさんのお話を聞いていた学生です。私たちの感想をYさんにお伝えしたくて」 「私は別に貴方達に何らかの反応を期待して話をしたわけではないし、感想など聞きたくありません。早く帰りたいのでお引き取り下さい」 「、、、、、、、、、、」 すると彼らを連れてきた会場の関係者が「Yさん、それはないでしょう。ひどすぎます。5分でいいから話を聞いてやって下さいよ」と言った。 「そうですか、ひどいですか。じゃ、話を聞きましょう」 彼らは私の話を聞いて夢を諦め音楽をやめる事にしたと言う。私は嬉しかった。少なくとも10人の若者を、夢や希望という実態のない甘い罠から私は救ったのである。「貴方達が賢明な決断をしてくれたことを大変嬉しく思います。御礼にもう一つだけ良い事をお伝えしましょう。私たちは皆、国家という魔物に飼われた家畜なんですよ。どう足掻いてもそこから逃れる事は出来ない。評論家の佐高信は、サラリーマンを揶揄して『社畜』という造語を作り得意になっていたが、私は佐高を視野狭窄に陥った本物のバカだと思いましたね。私に言わせれば、サラリーマンどころか権力者以外の国民は全員国家の家畜、『国畜』なんです。ですからますます絶望なんですよ。私たちには夢も希望も存在しないんです。それに気付いていない人が多すぎるし、また気付いていたとしても見て見ぬふりをしている人が殆どなんです。何事も諦めが肝心ですよ。とにかく、何事も潔く、駄目だと思ったら可及的速やかに諦める事です。私たちは全方位を絶望に囲まれて生きているんです。ですから明るく元気に絶望を生きて下さい」 「、、、、、、、、、、」 彼らをこう諭したあと私は帰り支度を整え、自転車で会場を後にした。すでに私はその日の講演の事など全く頭に無く、予約を入れてある呑み屋へ自転車をメチャ漕ぎするのであった。  

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