2009年12月

真贋明皓

久しぶりに御用学者の傲慢ぶりを垣間見た。民主党の事業仕分けによってスーパーコンピューターの開発予算削減を宣告された当の研究者共である。この宣告に狼狽した研究者共は過去のノーベル賞(私はノーベル賞ほど超権威的で低劣な賞はないと考えているが、ここではそれについて詳述を避ける)受賞学者を引き連れ、緊急声明と銘打ち口角沫を飛ばし自分達の研究の社会的重要性を訴えていた。中でもノーベル化学賞を受賞した野依氏は「将来、歴史の法廷に立つ覚悟でやっているのか」と強い口調で事業仕分けを批判していた。これまた随分と大きく出たものである。たかだか一介の功名心に駆られた御用学者如きが何様のつもりなのだろうか。では野依氏は研究が何の実質的成果も無く失敗した時に責任をとる覚悟でやっているのであろうか。そう。こういった税金に頼りきった仕事をしている連中は、失敗しようが砕け散ろうが責任をとるつもりもないし、始末のつけかたも存知していない。学者の世間知らずという言葉があるが、そういう意味で呑気なものである。ロジックに依拠した思考回路しか持たず、科学を妄信する(理系の中でも特に工学系に顕著である)者の愚かさがその下賎な顔に露顕し、我々の研究開発に必要な予算は、何事をも差し置いて優先されるべきと言わんばかりの風概であった。確かに日本は技術立国であるし、科学技術の枢要性は認めざるを得ない。しかし現在の大学の研究室に於ける技術開発は、常に民間企業の市場原理と密接な関係にあり、莫大な金を注ぎ込む単なる資金力競争に陥っている。資金力競争に引きずり込まれる事が何を齎すかは、米ソ冷戦の顛末を思い起こせばあきらかであろう。アメリカに煽られ、膨大な資金を浪費する軍拡競争に走った旧ソ連の崩壊は未だ記憶に新しい。時代の差異、スケールの大小はあろうが、昨今の大学の工学系研究室によって行われている技術開発は、見事にこの歴史的事実に重なると同時に、本来、民間企業が担って然るべき分野である。企業から僅かばかりの研究費をつかまされ、懐柔され続けてきた結果、大学というものが民間企業の下請け機関に成り下がってしまったのだ。学問とは戦争でもなければ勝負でもない。普遍性を持つ新たな原理原則を究明する事が本分である。さもしい市場原理などとは最も乖離し無縁なものでなければならない事は当然として、この絶対的大原則を安直に放擲し、近視眼的視点による即、民間転用可能な技術ばかりに傾注している現状は、到底学問と呼べるような代物ではない。私は、先端技術開発に莫大な予算をさくのは、もはや時代遅れであると考える。新たな工業技術というものは、一時的には富を産むものの、瞬く間に普及し一般化し、その技術の経済的価値は数年の内に殆ど無に帰してしまう。これは、単なる博打であり、本物の技術ではない。本物の技術とは職人と芸術家の世界にしか存在せず、時が経てば経つほどその存在価値は増し、光輝くのである。長きに渡って市井の臣の中で磨かれ培われてきた本物の熟練技術は、多大な尽力、時間を要し、一朝一夕に会得できるものではないが、金はそれほどかからない。金によって作られたものは、金によって滅びるのが宿命といえる。更に言えば、科学技術の進歩は無論、人の生活に於いて利便性、快適性を高めるが、人類を本質的に幸福にはしない。寧ろ、人間を著しく堕落させる。(それは私を見れば明らかである) アーミッシュの人々の生活が、その宗教的要素は別にして、限りなく高潔で、この上なく美麗に映るのは何故なのか、説明の必要はないだろう。既述した通り、私は科学技術開発を全否定はしない。むしろ一定度の枢要性はあろうと思う。科学技術開発とは、所詮スポーツと同程度のものであり、やりたい者は勝手にすればよろしい。ただ、それに1200億という膨大な税金を投入するのは言語道断だ。科学技術が衰退しようと何の問題もない。日本は元来、農業と職人の国の筈である。今の似非先進国日本には食うや食わずの人々が山の様に存在するのである。件の御用学者どもは一度でもよい、山谷に行き弱者の実情を直視すべきである。彼らに少しでも人間としての良心があるならば、二度とあのような尊大で卑賤な台詞は吐けないだろう。繰り返し言おう。やりたければ勝手にやればよい。全て自分の金で。自尊心の高い天下の大先生達が税金にぶら下がろうとは、いくらなんでもみっともなくはないだろうか。金が無いなら、植村直己の著作を読むが良い。そこに全てが書いてある。彼は金や地位名誉に頓着せず、その生涯にわたって清貧を貫いた。彼は冒険の職人だ。植村の偉業の前には他の全てが色褪せて見える。本物とはこういう人物なのである。ノーベル賞如きを授与され、鼻の下を長くしている学者なんぞは、権威主義に染まりきった生臭い俗物中の俗物であり、醜いことこの上ない。いいですか大先生達、一般国民の大多数は、貴方達の研究なんぞに何の興味もないし、何の期待もしていません。ただもう少し安心して生活できる、弱者に配慮した社会になって欲しいだけです。貴方達の顔には、人として最も恥ずべき特権意識、選民意識が滲み出ていますよ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 少しは遜譲な方寸を持ちたまえ。

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