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翻弄される衆人

その後、御座れ親父と遭遇する機会に恵まれず、反撃論破という目途は果たせずに過ごしております。相変わらず件の酒場には頻通しているのですが、仇敵はなかなかその姿を現しません。バーテンに、「奴は出没せぬか」と訊くと、「そういえば、一昨日来ましたよ。なんかあったんでしょうねえ、ずいぶんと荒れてましたよ。私もからまれました。」とさ。ふんっ。いい歳をこいて酒場でくだを巻くとは愚か者の戯け者の肥溜め野郎である。御座れ親父殲滅作戦は、なんとはなく、どうでもよくなってしまった。私がナチョスとテキーラを注文し、カポンカポンとやっていると、見るからに倣岸不遜な60過ぎと思しき偉丈夫が、私から少し離れたカウンターのスツールにどしんと座った。俺は偉い人なんだぞビームを強力に放っております。私は、偉い人を無条件に厭悪する気尚を持っている為、話しかけられても黙殺し、その夜は黙飲を決め込む事にした。その偉い人とバーテンの直談に聞き耳を立てていると、「最近の者は新聞を読まなくていかん!」と息巻いています。馬鹿である。救いようの無い頓馬である。やっぱりこんなシーラカンスみたいな大人が今でも生きているんだなあ。世上は良くならない訳だ。私はもう20年以上前から新聞の一文字も読んでいないし、家宅にテレビも無い。情報は全てターゲットメディアから得ている。その方が遥かに世情に精通する事を体験的に学んだからである。昔は、「私は毎朝全紙に目を通してから出勤しています。」というような事を自慢げに吹聴するオタンコナスが結構いた。この偉い人も、そういった人種の残滓であろう。かつて朝日には深代淳朗が天声人語を書き、本多勝一がルポを書くという黄金時代があった。私も貪る様に読んだものである。(誤解を防ぐ為に一応説明しておくが、私は深代淳朗や本多勝一の思想に心酔していた訳ではない。あくまで読み物としての水準が高かった為、夢中になって読んだまでである。)しかし現在のマスメディアとは、体制側に都合の良いように世論誘導する為の、たんなる資具であることはもはや隠しようの無い真実だ。つまり、新聞を読めば読むほどアホになり、テレビを見れば見るほどマヌケになる。直近の例えを挙げれば小沢一郎がついに党代表から引きずり降ろされた事だろう。マスメディアは連日の様に、小沢が党代表を辞めるべきか否かというあざとい世論調査を繰り返し、その結果を盾に世論誘導し闇将軍小沢を陥落させたのである。マスメディア恐るべし。一郎ちゃん哀れなり。さぞかし悔しがっているんだろうなあ。言うなれば、マスメディアとは真実を覆い隠す為に存在するのである。であるからして、私は斯様なマスメディアという汚辱にまみれ、悪臭を放つ悪党を蛇蝎の如く忌み嫌うのである。こんな事も識知せずに、若者に新聞を読めなどと叫んでいる偉い人には、「火星に行ってお経でも詠んでろ!」と言いたくなる。バーテンダーに対し、口角沫を飛ばして持論を展開していた偉い人は、私の冷酷な視線(目線なんて単語は絶対に使うな!)と冷笑する心府を感応したのか、そそくさと席を立ち、もうお帰りの様です。何だよ、シーバスリーガルのロイヤルサリュート全然呑んでねーじゃん。もったいねえなあ。酒を粗末に扱うとは、ますますの不届き者め!偉い人は帰り際に、私の肩をポンと一つ叩き「じゃヨロシク」と吐き捨てました。無礼者!見ず知らずの貴様に馴れ馴れしく肩など叩かれるいわれは無い!私はカウンタースツールから鞍馬天狗よろしく舞い降り、偉い人の脊背にバカボンパパキックを見舞ってやろうと想いましたが、この酒場のナチョスはあまりに旨いので、ひたすらそれを食んでいました。さて、こんな酔客談義ばかり書いていると、諸彦は、私が毎夜毎晩ヘラヘラヒラヒラと呑み歩いている様に想われるやも知れぬが、それは違う。著しい謬見である。本来、私は酒など大嫌いである。だが、酒は人生の肥やしであり、酒場は人生の縮図である。而して、私が酒を呑むという事は修行なのです。修行ですよ、修行。甚だ辛い修行です。実に辛い。酒なんかホントは嫌いなんですから。うあ、気が重いなあ、今夜も修行が待っているようです。諸彦、くれぐれも誤解無きよう!

 

 

 

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