2012年05月17日

妄語横溢

相も変わらず塵の世は如何にも虚妄にまみれていよう。誠を知らんとすれば赫々たる火炎の如き抗拒に晒され、誠を叫ばんとすれば反攻の矢が無算と放たれる。さて、東京ディズニーランドなる遊戯施設がある。言わずもがな、それは千葉県浦安市に在する。それが何故「東京」ディズニーランドなのだろうか。どこからどう見ても「東京」ではない。何故「浦安」ディズニーランドではいけないのか。それは東京が世界有数の先進都市であり、その「東京」というブランド地名が放つ威光(甚だ次元の低い威光ではあるが)を利用せんが為に無理無体を重ねて、「浦安」を「東京!」と呼号するのである。これは浦安市民に対して大変な非礼であると同時に、明白なウソ、虚言としか言えない。何を今さら判りきった事をと申す者も多かろう。だが私はこういったウソ、デタラメを断じて許さない。何故なら、このような一見些細に感じるウソこそが、後々恐ろしい結末を産むことを知悉しているからだ。だから私は誰がなんと言おうと「浦安」ディズニーランドと呼ぶ。日本社会とディズニーの結びつきが強固なものとなった時期は、1957年に遡る。この年に、ジェネラルダイナミクス等、米国原子炉メーカー数社の依頼で、ディズニーが製作した大衆洗脳映画『我が友原子力』の放映権契約がディズニーと日本テレビの間で締結された。この事実を知らずとも、日本テレビと聞いてピンときた読者も少なくないのではなかろうか。契約の締結こそ当時の日本テレビ社長、清水興七郎が執ったが、そう、その黒幕は他でもない、正力松太郎だったのである。その頃正力は、自らの所有物である読売新聞と日本テレビという最強のメディアパワーを存分に利用し、積年の夢であった日本への米国製原子炉導入の為、あらゆる手段で画策、そして暗躍していた。ディズニー映画『我が友原子力』は、原子力エネルギーを次世代の、或いは未来の夢のエネルギーとして米国民を洗脳する為に製作されたが、それはそのまま、被爆国である日本社会に根強く残る原子力アレルギーを払拭するには、御誂え向きとしか言いようがない代物だった。ただ、この原子力推進洗脳映画『我が友原子力』の日本での放映権締結の経緯を精査すると、これは日本への米国製原子炉導入政策を牛耳り、原子力エネルギー利権の掌握を悲願としていた正力から持ち掛けた話ではなく、ディズニー側からのアプローチだったことが判った。ウォルトディズニーの兄、ロイディズニーが日本テレビ本社に来訪し、『我が友原子力』の日本での放映を自ら売り込んできた記録が残っていることからも、あながち間違いとは言えないだろう。GE、ウェスティングハウス、ジェネラルダイナミクス等の米国原子炉製造メーカー及び米国は、相手国の内情を慎重に内偵しながらも、この原子力洗脳映画の放映を奇貨として、やはり原子炉、或いは原子炉製造技術を売り捌きたかったのではないだろうか。かくして1958年元旦、原子力推進映画『我が友原子力』は華々しく放映され、米国、米国原子炉製造メーカー、そして正力松太郎の思惑通り、大半の日本人の原子力アレルギーを軽減させることに小成した。時を経ること3年、1961年に京成電鉄が浦安の埋立地にディズニーランドを建設する計画を持ち上げる。この時、京成電鉄の川崎千春とディズニーの間を取り持ったのが、やはり正力松太郎だった。さらに、ディズニー映画の配給元だった大映(1971年倒産)の当時の社長、永田雅一も大いに協心した。そして1983年、構想から22年という長期に亘る紆余曲折、艱難辛苦を乗り越えて「浦安」ディズニーランドは開園を迎えた。開園までの22年間、何か事が起こるたびに、その解決に尽力したのは正力松太郎だったと言われている。一方で正力は、自社の遊戯施設よみうりランド建設に中って、ディズニーの強力なライバルであるユニバーサルスタジオと協力関係を築こうとするが、何故か失敗に終わっている。さて、こういった経緯をたどれば、「浦安」ディズニーランドなるものが、何を企図して造り上げられたものなのかが分かろう。解義の必要も無かろうが、あえてここに記せば、「浦安」ディズニーランドとは、日本への米国製原子炉導入の流れに乗って計画され、CIAの息がかかった米国プロパガンダ施設なのである。福一ボム後、至当なことながら日本の原子力政策は頓挫し、迷走している。しかし「浦安」ディズニーランドは元気そのもの健在だ。日本社会における反米感情を希釈し、親米感情を堅持、あわよくば煽動せんが為に、今日もドナルドダックは尻を揺らして日本の子供達の御機嫌取りに狂奔し、愛想を振りまき、それを見たCIA極東支部の局員は胸を撫で下ろしているのだろう。もう一つ、マクドナルドもウソが常態化している。マクドナルドでコーヒーを頼むと、バカの一つ覚えのように、「コーヒーにお砂糖とミルクはお使いになりますか?」という台詞が返ってくる。これがウソもウソ、大嘘のインチキなのだ。マクドナルドで渡される「ミルク」は全く「ミルク」ではない。あれはミルクどころか、植物油をこねくりまわして着色、味付けし、あたかもミルクのように見せかけた「ニセミルク」 「インチキミルク」に他ならない。私はマクドナルドのようなジャンクフードは極力口にしないようにしているが、周辺にマクドナルドしか無いような地域にいた場合、止むを得ず食すことがある。或る時、マクドナルドのカウンターで、件のマニュアル台詞を吐いた店員に対し、試しに問いかけてみた事がある。「でもこれ、ミルクじゃないですよね?」 「えっ!」 「これって植物油をあーでもないこーでもないといじくりまわしてひねりだしたニセミルク、インチキミルクですよね。そのことを貴方は知らないのですか?」 「知っています」 「じゃあ貴方はそれを知っていて客にウソをついているのですね?」 「ウソ、、、と言いますかマニュアルで決まっているもので、、、、、」、すると、ただならぬ状況を察した店長らしき人物がサルのような素早い身のこなしで私の眼前に現れた。「何か失礼が御座いましたでしょうか?」 「いや、失礼と言うかなんというか、マクドナルドの人達が皆私にウソをつくもので」 「はっ!どういうことでしょうか?」 「ミルクでないインチキミルクをミルクと言うのですよ。これは本当にミルクですか?貴方は自信を持ってこれをミルクと言えますか?」 「いえ、あの、それは、、、、、」 「それ見たことか、言えないでしょう。しかし、貴方は大変真面目な方だ。私もこの場で貴方を問い詰めても仕方が無い事は分かっています。現場で働いている方々にこの質問をぶつけて、どういう反応をするのか知りたかっただけです。お忙しいところ失敬致しました」 するとその店長らしき男は、今度はムササビの如くふわりと身を翻し、束になった商品券だか割引券を私に差し出した。「次回ご来店の際には是非こちらを御利用下さい」 「私はユスリタカリではありませんよ。そのような金品を受け取るわけには参りません。貴方達が一所懸命に作ったジャンクフードを、胃もたれ覚悟で一気食いして御暇致します。では」 。こういう組織で働いている方々は気の毒だ。毎日毎日強制的にウソを言わされ、自分が客に対してウソをついていることに麻痺してしまっている。これが最も恐ろしいことなのである。小さな瑣末なウソであっても、そのウソをひたすら繰り返すことによって自らがウソをつくことへの罪悪感が薄れ、自分の言葉に無責任になってゆく。総理大臣が平気でウソをつき、国会議員が平気でウソをつき、官僚が堂々とウソをつき、電力会社が憎憎しくウソをつき、御用学者がニヤニヤとウソをつき、マスコミがへらへらとウソをつく。結句、オリエンタルランドは「浦安」ディズニーランドを「東京」ディズニーランドとウソを言い張り、マクドナルドは、「インチキニセミルク」を無恥に「ミルク」と叫ぶ。私はオリエンタルランドに「浦安ディズニー米国プロパガンダランド」と名乗って欲しい。なにもやましい事が無いのであるなら正々堂々とそう名乗れる筈だ。そしてマクドナルドは「メニューの写真と実物の見た目が全然違うクウォーターパウンダーのセットですね。プレミアムローストコーヒーとは名ばかりの、麦茶みたいな味がするコーヒーにグラニュー糖とインチキニセミルクはお使いになりますか?あ、それとフライドポテトはアメリカ本国では使用をやめたトランス脂肪酸入りです」と店員に言わせるマニュアルを是非作って欲しい。そうしてくれたなら、私は毎日でもマクドナルドで昼飯を食べるのになあ。そうだ、喫煙席も用意して欲しいなあ。

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