2011年10月05日

屑の一分

東京電力前社長清水正孝は、人類史上最大最悪の福島第一原子力発電所メルトスルー事故を発生させておきながら、事故当時、刻々と悪化の一途を辿る事故現場から事故収束作業員を全員撤退させようとした。メルトダウンどころか既にメルトスルーという人類が嘗て経験した事の無い驚駭の事態に陥っている事実を知った清水は事故を放擲し、東電社員諸共、尻尾を巻いて現場から逃げ出そうとしたのである。「無責任」、「卑怯者」といった言葉は、正に清水正孝の為に存在するのであろう。これを聞いた前首相菅直人は激昂し、東電本社に乗り込み「撤退などありえない。命がげでやれ」と東電幹部社員を一喝した。この一件は、各メディアによって広く報道されただけに、読者諸賢も須く存知している事だろう。この一点のみをとっても、私は菅直人という男に首相としての及第点を与えたい。加えて、福島第一原子力発電所メルトスルー事故という未来永劫取り返しのつかない大人災と引き換えにしても、脱原発を宣言した事は大きな足跡として一定の歴史的価値を認めても良いのではないだろうか。私は常々、政治家とは一人の例外も無く全て人間のクズだと断じているから、菅直人とてそのクズの一員としか思っていない。しかし、東電とドブン、ザブン(官僚が使う隠語。意味は文脈から解りますね)の関係にある他の民主党議員が内閣総理大臣であった場合、果して菅と同様の決断が可能だったであろうか。ましてや、党自体が東電と切っても切れないズブズブの愛人関係にある自由民主党が政権を担っていたとしたら、如何なる手段を講じても東電を原発を擁護したに違いない。このような事実を鑑みれば、菅直人というクズもまあ少しは気概を見せたのだと考えてもあながち間違ってはいないだろう。さて、過日出張先で投宿した安旅籠にて、寝台に転がりながらテレビのスイッチを入れると、引き摺り降ろされたばかりの菅直人が、利口そうに見えて実はノータリンの女性キャスターから単独インタビューを受けていた。インタビューの内容自体は実の無いものであったが、私はなんとなく見続けていた。すると或る時菅の顔がアップになったのだが、その時私は息を呑んで飛び起きた!なんと、菅の左の鼻の穴から申し訳なさそうに太い鼻毛と細い鼻毛が一本ずつ計二本飛び出していたのである!菅の鼻の穴は大層小さく、その飛び出していた二本の鼻毛も、常人であれば何ら気付かず見落としてしまうレベルであったが、私はそれを毅然として赦さなかった。なにしろ、実は私は全三巻の大著『鼻毛飛び出し論』の著者であり、鼻毛飛び出し論そのものの創始者なのである。私の鼻毛飛び出し論を知らぬ者は、己の無知を恥じて欲しいところだが、寛大な私は簡潔に御説明差し上げる。『鼻毛飛び出し論』の主題は、自分が相対する者の鼻の穴から鼻毛が飛び出ていた場合に、どう対処する事が道徳的善、及び倫理的善であるかを哲学的見地から精緻かつ徹底的に分析し論じたものである。そのスケールたるや極めて壮大で、ヘーゲル体系をもあっさりと凌駕する程の比類なき広がりを持っている。また、その難解さも極め付きで、カントの「純粋理性批判」に比肩、或いは凌駕する水準と言われており、『鼻毛飛び出し論』を読み解くには、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等のドイツ観念論は勿論、フォイエルバッハ、エンゲルス、マルクスの唯物論やクロポトキン、プルードン、バクーニンといったアナーキズムまでを精確に理解し、身に付けていることが最低条件となる。そして、『鼻毛飛び出し論』は従来の哲学的常識を遥かに超越している。観念論と唯物論の間を縦横無尽に行き来し、その時の都合の好い方にめまぐるしく主張が変節する為、その哲学的立場も曖昧模糊としている事や、論理の飛躍が著しく、少しでも気を抜いて読もうものなら何を言っているのかさっぱり分からなくなってしまい、支離滅裂に感じてしまうのだ。更に、『鼻毛飛び出し論』は、私が最も得意とするスワヒリ語で書かれている事も、その難解さに輪をかけている。『鼻毛飛び出し論』とは、斯くも厳しく激しい超難解書なのである。菅直人の僅かに飛び出た鼻毛を断じて見逃さなかった私は、自らの犀利で機敏な心神が保持されている事を自負したと同時に、自身の胸中に『鼻毛飛び出し論』に対する熱い情念が、未だぐらぐらと滾っている事実を改めて自覚した。旅先で見たテレビの中に、元宰相の飛び出し鼻毛を目敏く発見するという偶発的な事象ではあったが、これを奇貨とし、遂に私は『鼻毛飛び出し論』を更に発展させ、『鼻毛飛び出し論』とは対極的視座からそれを論ずる『実践鼻毛飛び出し論批判』(『鼻毛飛び出し論』第四巻にあたる)の執筆に着手する事を決意したのである。これは持論を自ら批判するという無謀とも言える挑戦であり、悲惨な結末になるのではないかと按ずる向きもあるかと思うが、どうか私を止めないでほしい。何年かかろうと、艱難辛苦を乗り越えて、何としても私は脱稿する所存である。そして、私の『鼻毛飛び出し論』に対する情熱を再燃させてくれた前内閣鼻毛飛び出し総理大臣、菅直人に万謝を捧げたい。菅直人の飛び出した二本の鼻毛に、私は屑の一分を見たのである。皆さん、私は自分が何故こんな事を書いているのか解らなくなってきました。そういう事情でありますから、本稿はこれにて仕舞と致します。ごきげんよう。

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