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    <title>同化という楽土</title>
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    <published>2010-09-05T03:47:37Z</published>
    <updated>2010-09-08T08:19:23Z</updated>
    
    <summary> 前稿で僅かに觝触した日本人における組織への帰属意識について考察したい。ある集団...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">前稿で僅かに觝触した日本人における組織への帰属意識について考察したい。ある集団、或いは組織に、精神的及び物理的な帰属行為を執る場合、孤立（疎外）&rarr;不安（疎外感による）&rarr;同化（周囲への）&rarr;帰属（安心）、といった４段階の過程に定式化される事は誤りではないだろう。私は一日本人の一傍観者として、この日本社会における</span><span style="font-size: small">日本人の帰属行動を観察するに、劇甚な違和感を覚えるのである。論じるまでもなく、私はあらゆる意味で自分が社会の中での少数派である事を十分に自覚している。然しながら敢えて言えば、全ての事象にあまねく内在する本質は、多数決によって決定づけられている訳ではない。従ってこの際、論者がマジョリティであるかマイノリティであるかは、一切無視しても何ら問題が無いものと勘決する。また、そうであってもこの考察は、マイノリティ（私を含む少数派）の視点から</span><span style="font-size: small">マジョリティを視たものであることは順当とする。</span><span style="font-size: small">さて、まずは第一段階である孤立（疎外）から考究したい。人間が自らの主体性を徹底的に追求した場合、社会から疎外され、孤立するのはこの日本社会では極めて自然である。主体性の追求と社会的孤立度（疎外性）の上昇は正比例の形をとる。（この時、社会的孤立度を社会的帰属度に置き換えれば、当然ながら反比例となる）。ところが、日本では当然の帰結である主体性追求による社会的孤立という困難な関係性が、適度に調和されている国がある。それは私が嫌忌する米国である。例えば米国のとある組織で、「今夜皆で呑みに行くんだけど君も来ないかい」「ヤダよ」「そうか。じゃっまたな！」。数日後「今夜皆でカラオケに行くんだけど君も一緒に来ないかい」「カラオケは好きじゃないんだ。やめとくよ」「なるほど、君はカラオケが嫌いなんだな。わかったよ。またな！」。またまた数日後、「明日の休日は皆でテニスのトーナメントをやるんだけど、君も参加しないかい」「僕は休日はゆっくり読書をしたいんだ。それに休日まで仕事仲間と一緒に居たくないよ」「それもそうかもな。それじゃ月曜日に会社で会おう！」。この様な、勧誘&rarr;拒絶という対立行為を何度となく反復しても、米国社会ではこれを理由に組織内で孤立したり排除されたりする事は殆ど無い。これは、米国が個人の主体性を最大限に容認する事を良しとする、この点に関しては極めて洗練された社会である事を意味している。米国嫌いの私もこれに限定しては高く評価せざるを得ない。一方、我が国日本の組織内で同様の行動を執ればどう言う結果をまねくか。一度や二度なら兎も角、勧誘&rarr;拒絶を繰り返すうちに、「あいつは変わったやつだ」「付き合いが悪い」から始まり、「協調性が無い」「もう相手にするのはやめよう」となり、マジョリティによる陰鬱な排除行動に移る。そして徐々に仕事の流れから外されてゆくのである。こうなると、仕事に関してどんなに優れた能力があろうと、もう出世は望めない。組織人としては絶望だ。まさに孤立（疎外）したのである。であるから日本社会のマジョリティは孤立（疎外）を恐れる。組織内において何らかの事由で孤立しそうになった瞬間、恐怖に襲われ、不安という蟻地獄に突き落とされる。これが第二段階の不安である。では何故日本社会のマジョリティは孤立を恐れ、不安に陥るのか。その元凶は幼少時からの公教育であると考える。日本の公教育が人間の主体性を悉く踏蹂</span><span style="font-size: small">していることは疑いようがない。そもそも公教育とは本質的に、暴力（精神的であれ肉体的であれ）を伴う強制行為によって国家に隷属する人間を育て、社会に排出する事が本分なのであるから、被教育者の主体性を全て許容するのは不可能である。問題なのは、その主体性たるものの許容範囲なのだ。日本の義務教育課程では、個人の主体性の許容範囲が異常とも言えるほど狭い。皆同じようなランドセルを背負い、同じような帽子をかぶり、似たような靴を履いて、通学班という集団で隊列を組んで登校する（この場合私立学校は除く）。この状況が</span>、<span style="font-size: small">私には極めて異様に映る。子供（個人）の好みは多様な筈であるのに、なぜそろいもそろって同じような格好で登校するのか。それを強制されているならば、なぜ抵抗しないのか。それは、服装や持ち物という、取るに足らない表面的な要素であっても、周囲から孤立するのが怖いのである。他の子と違う物を持っているといじめられやしないか、仲間外れにされないかと、親は心配する。親もそういった教育を受けてきたのであるから当然だ。昼食（給食）も個人の好みを一切無視し、一律の料理を無理やり食わされる。好き嫌いなく何でも食べる子供は良い子とされ、好き嫌いの多い子はわがままな悪い子とされる。食べ物の好みと人間性など何の関連性もない筈なのに。義務教育機関での昼食は、全てカフェテリアにし、各自メニューの範囲内で好きな料理を食べさせれば良い。子供が野菜嫌いでも、魚嫌いでも、肉嫌いでも、全く心配無い。人間は好きなものを飲み、食べるのが一番体に良いのだ。少なくとも私は、偏食によって子供が死んだという事は聞いた事が無い。休み時間に、一人静かに読書に勤しんでいると協調性が無いとされる。遠足が嫌いだと拒否すれば変な奴だと言われる。運動会を嫌がれば元気のない子供だといわれる。きちんとした医学的な説明もないままに、決まり事だからと予防注射と称する訳のわからない薬物を打たれる。こういった次元の低い管理教育に嫌気がさし、登校そのものを拒否すれば、登校拒否児（異常児）という烙印を押され親と学校が一丸となって、何としても登校させようとする。ほんの少し考えてみればすぐに分かる事であるが、人間を含め地球上のあらゆる動物は他者に管理される事を嫌うのが最も自然であり極めて至当だ。本来的に他者に管理されることを喜ぶような動物がもし居るのであれば、是非見てみたいものだ。つまり正しくは、管理される事を嫌がり、登校を拒否する子供こそが真に正常で、力強い主体性を持った者なのであり、</span><span style="font-size: small">学校が楽しいなどと言って喜んで、自ら進んで他者に管理されに（学校に）行く子供の方が異常なのである。義務教育という暴力を纏う学校と称する刑務所（実際の刑務所よりやや規則は緩いが）の中で、徹底的に主体性を蹂躙され、削ぎ落とされた人間の大多数（マジョリティ）は、如何なる意味においても孤立を恐れ、疎外される事を死に物狂いで回避し、その孤立に起因する不安から逃れようとする。そして必要以上に自分自身を抑圧し、第三段階である同化（周囲への）行為を模索するようになる。ネクタイはなるべく地味なものを選ぶ。勤務時間外に拘束される理由は全くないにも関わらず、嫌な上司や同僚と呑みたくもない酒を呑む。大切な休日を犠牲にして同僚や部下の結婚式に出席する。結婚というものは完全に個人的な事象であって、元来仕事とは全く関係ない筈だ。顔も見た事が無いような者の葬式に出席する事も、実はかえって故人に失礼にあたるのではないか。毎年毎年、ただ形式的に繰り返される新入社員歓迎会や送別会。くだらない、馬鹿馬鹿しいと思ってもそれを公言すれば孤立する。時代遅れの社員旅行に連れて行かれる。うんざりするが、こういった事を全て拒否すれば、「あいつは自己中心的だ」「協調性が無い」「まったく大人げない」「わがままだ」と、お定まりの科白を投げつけられ、確実に疎外される。これこそが、大間違いなのである。正銘の協調性とは、対人関係において、他者が自身とは全く別の人格である事を率直に認め、なおかつお互いの主体性を最大限に許容しつつ業務上の目標に向かって協力関係を築く力である。これが真の協調性というものであり、本物の独立した大人の態度なのだ。</span><span style="font-size: small">孤立を恐れ、疎外という脅迫に屈し、何とか周囲に同化しようとする姿勢は、日本社会におけるマジョリティの幼稚性と悲哀が極大化したものに他ならない。日本の外交力が著しく脆弱な事実も、この日本社会マジョリティの精神性と無関係ではないだろう。佐藤優のような本物の実力者は結局排除されてしまうのである。かくして、この同化行為を経てマジョリティは集団（組織）にべったりと帰属（第四段階）し、人間の根幹をなす主体性と引き換えに、至上の安心感を獲取する。私の様に社会的マイノリティの視点に立ち、このような事実を目の当たりにする度に、広義での人格の陶冶というものが如何に困難であるかを痛感するのである。読者諸賢、私はまたまた理屈をこねてしまったようです。失敬致しました。御読了に感謝申し上げます。</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
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</p>
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    <title>幻想に愚弄される霊長</title>
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    <published>2010-08-31T01:58:52Z</published>
    <updated>2010-09-01T07:30:39Z</updated>
    
    <summary>年歯を重ねるにつれ、自らが受けてきた公教育、私教育の殆どが現実と著しく乖離し、虚...</summary>
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        <![CDATA[<span style="font-size: small">年歯を重ねるにつれ、自らが受けてきた公教育、私教育の殆どが現実と著しく乖離し、虚構で塗り固められた欺瞞に満ちた物である事に刮目し、歎息する。「やれば出来る」、「頑張れば何とかなる」、「努力する事に意義がある」等、これらは私がとりわけ蛇蝎視する言句の典型だ。努力論について今ここに多くのスペースを割くつもりは無いが、端的に言えば、努力とは才能及び運という礎の上で蠢く事によって初めてその意味素が成立するのであって、努力そのものに意味がない事は絶対的である。種の無い畑をいかに必死に耕そうと懸命に水を撒こうと芽はでないし、ガラス玉をどんなに磨こうともダイヤモンドにはならない。一方、種子は芽が出ていなくとも、ダイヤモンドは原石のままでも相応の価値があるのである。成功者は言う。「失敗を恐れず、勇気を持って努力し続けたから成功したのだ。即ち努力する事にこそ大きな意味がある」と。ところが、一見尤もらしい、ややもすると深く頷いてしまいそうなこの言葉は、成功した者にしか吐けない極めて思慮の浅い科白であると同時に、重大な論理矛盾が横たわっている。人は成功という結果を求めて努力する。その結果が無惨にも失敗に終わった場合、それまでの努力は水泡に帰す。現実には、失敗は永遠に恥ずべき失敗のままであり、努力は普く無駄に終わるのだ。成功者による努力は、成功したからこそ恰も肝要に見えるのであり、それはとてつもなくいかがわしい光を放つ麗句に過ぎない。つまりは失敗者の努力のみに真実性が含まれる事になる。そしてその失敗者の努力という真実は、失敗した瞬間に儚くも大気に希釈され遥か彼方に消え去ってしまう。果たして失敗者は、周囲の者から、「もうやるだけやったんだから十分じゃないか」、「結果が全てじゃないよ」、「お前の努力は素晴らしかったよ」「良く頑張ったよ」などという月並みの励言をかけられ、またそれらの励言が全くもって無責任で、なおかつ事実に反する事にうすうす感づきながらも、その周囲の者と同化してしまうのである。周囲と同化する事、それは低俗な帰属意識を充足させる、いかにも甘美で怠惰な楽園なのだ。努力という甚だ取扱いの難しい言葉と同様に、私は愛という思わせぶりで婉曲で抽象的な言葉も究極的に嫌う。愛と嘘は殆ど同義語であるとさえ言える。人間はつまるところ、自己利益に基づいた行動しか執れないという事は、本源的に正しいし、私はそれを体験的に知悉している。貴方が彼女に美味しい仏蘭西料理を馳走するのも、実は彼女に美味しい料理を味わって欲しいからでは全く無く、彼女に美味しい仏蘭西料理を食べさせる事によって、自分への好意を引き続き保ちたいという自己利益に基づいている。その証拠に、食事を終えた彼女が「あー、不味かった。こんな店に二度と連れて来ないで」と言ったら、貴方はひどく腹を立てるだろう。こんな相手の気持ちもわからないような（この言葉も私は大嫌いである）女とは即刻別れようと思うかもしれない。何故だろうか。あんなに好意を持って欲しかったのに。貴方は彼女が何ら自分に利益を齎さない事を悟った。そう、この時貴方は如何なる事由よりも自己利益を優先し、自分に不利益を与える彼女を排除しようとしているのである。貴方が周囲の人々に何時も笑顔を絶やさず礼儀正しく接するのも、良く思われたい、嫌われて不利益を被りたくないという自己利益を求めての事である。他者の為に命を擲つ行為でさえも、それは自らの正義観、生命観を伴う自己美学に則った究極の犠牲的自己利益充足行為であると言わざるを得ない。金銭的寄付行為も、奉仕（実は奉私）活動も、企業が行う慈善（実は偽善）事業も、とどのつまりは完全なる自己利益誘導活動に他ならない。言うなれば、愛と嘘と自己利益という言葉は、完全な同義語とは言えないまでも、異常なまでに緊切した近似値的相関関係におかれている。愛という言葉（概念）が単なる幻想であり、人間が産み出した最も卑劣で悪辣なものであることの証左は、市井の臣の生活の其処此処転がっている。この間まで、あんなに仲の良かった兄弟が遺産相続を巡って骨肉相食むという事態は、なんら珍しいことではない。この時、今までの兄弟愛は、家族愛はどこへ行ってしまったのだろうか。ほんの数日前まで仲睦まじかった恋人がはっきりとした理由も告げず、ある日突然目の前から去って行き貴方は呆然とする。二人で誓ったあの愛は何だったんだろうか。どこへ行ってしまったんでしょうか。彼女の言葉は嘘だったんでしょうか。そう、嘘だったんです。彼女は愛と近似値的相関関係にある自己利益に忠実に従い、貴方の前から消えたのです。さて時は過ぎ、貴方は５０歳を越え、定年まで数えるほどとなりました。今日は日曜日、休日です。貴方は発泡酒片手に笑点を観始めました。（チャンチャカスチャラカスッチャンチャン）実にささやかな楽しみです。「うーん。やっぱり歌丸の司会はまだまだ板についてないな」観始めて５分と経たないうちに妻が声をかけてきました。「あなたちょっと話があるの」「あははは！今笑点観てるんだよ。うるさいなあ」「笑点なんて毎週やってるでしょ！大事な話なのよ！」妻はいきなりテレビのスイッチを切り画面の前に立ちはだかりました。「なんだよっ、笑点見せろよ！」っと言いながら、貴方は不穏な空気を察知しました。おかしいなあ。なんかヤバイ事でもバレたのかなあ、、、、、。「わかった、わかった。聞くよ。話を聞けばいいんだろう。はいはい、なんで御座いましょうか」「なによ、その言い方。真面目に聞きなさいよ。大事な話なんだから」「はい、、、、」「花子もお嫁に行って２年になるわね」「うん、そんなとこかな。早いもんだな」「太郎も去年就職して頑張ってるみたいね」「そうだな。頑張ってる。先週八重洲で一緒に呑んだよ。でもなんだよ。そんなこと改めて言わなくたってわかってるよ」「そこでね、子供もみんな独立した事だし、あたしリセットしたいのよ」「リセット？何だか良く判んないけど、いいんじゃない、どんどんリセットすれば」「あなたあたしの言ってる意味わかってんの？」「うーん、まあね。まあ気持ちはわかるけど、その歳でエステとかいっても芳しい結果は望めないと思いますよ」「違うわよ。あなた馬鹿じゃないの！私はね、人生をリセットしたいのよ！」「人生をリセット？どうやって？それはちと難しいんじゃないの。今さら」「あなたは本当に馬鹿ね！」「あんまりバカバカっていうと俺だってそのうち怒るぞ！」「それじゃあはっきり言わせてもらいます。離婚して欲しいの！お願いします」「、、、、、、、、、、、、、」５分以上無言の時が流れました。「俺は厭だ。絶対に別れん！！」「離婚してよ！」「厭だ！そんなに離婚したいならお前が出て行け！！」すると妻は、まるでこの流れを予測していたように、急に冷静になり「あなた判ってませんね。このマンションの半分は私のものですよ」「そんなの認めん！」「あなたが認めなくたってね、法律はそうなってるのよ」「そんなこと知ってるけど認めん！許さん！！駄目だ！！」しかし妻は貴方の反撃など歯牙にもかけず静かに話し続ける。「それでね、このマンション今売れば３０００万位にはなるらしいのよ。不動産屋さんで調べてもらったの」「何をー！くそー！！ローンだってまだ６年ものこってるんだぞ！」「だからね早くこのマンション売って、貯金とあなたの退職金とを合わせて半分ずつにすれば、あたしも当分は生活に困らないでしょ。あたしが生活に困らないってことは、あなたに迷惑かけないってことなのよ。わかる？あ、そうそう、近いうちにメルセデスも査定してきてね」憤激と混乱に塗れた貴方は、餌を求める鯉のように口をぱくぱくさせるだけで、全く二の句が継げない。「あとね、弁護士さんもなるべく早い方がいいでしょうって」もう貴方は失神寸前である。愛と近似値的相関関係にある自己利益を真摯に追い求める妻の態度は、恐ろしく人間的であり、ひたすら正しい。貴方は３０余年に渡って騙され続けていたのである。勝者は妻であり、貴方は惨敗者なのだ。努力や愛というものの正体は斯様に無慈悲で残虐だ。若かりし頃、愛などというものを大真面目に信じた貴方が馬鹿だった。迂闊だった。この世の殆どは嘘や出鱈目で構成されているのである。</span>]]>
        
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    <title>残懐なる変遷</title>
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    <published>2010-08-22T06:29:33Z</published>
    <updated>2010-08-25T06:19:22Z</updated>
    
    <summary> 私の夜の生息地域である日本橋界隈、とりわけ人形町付近に、昨今やたらとお洒落な飲...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">私の夜の生息地域である日本橋界隈、とりわけ人形町付近に、昨今やたらとお洒落な飲食店が繁茂している。まあ本当に毎週の如く次々と斯様なお洒落系飲食店が開店している。この間まで人形町はあほらしいドラマの舞台になっていたみたいだし。なにやら胡乱な仕掛け人の指矩らしいがうんざりである。私はね、お洒落系飲食店が大嫌いなんですよ。ウィンドウ越しに、そこで働いている人達を見ていると、芸能界に憧れる浅短な若者と同一の精神構造であることが透けて見えます。飲食店というものは、徹底的に清潔で料理が抜群に旨ければそれで良し。それだけで確実に客は入ります。それ以外には何も必要ありません。無愛想な店主でも結構。いちいち話しかけてくる店主よりよほど宜しい。そもそも店舗内装を必要以上にお洒落にするという事は、料理人の自信の無さのあらわれなのではないでしょうか。お洒落系飲食店の店主は３０代後半から４０代前半で実年齢よりとても若く見えます。髪型はお洒落坊主である事が多く、好い塩梅で日焼けしており、そこはかとなく海老蔵の香りを漂わせています。店の内装はどこもとてもシックです。黒やダークブラウンを基調としています。そして、それに合わせるかの様に店員の服装は暗色系のパンツにロングエプロン、エプロンと同色のキャスケットやハンティングを被っていたりします。照明は間接照明がメインで店内はかなり暗めです。イタリア料理店だろうがフランス料理店だろうがスペイン料理店だろうが焼き鳥屋だろうが、何故かＢＧＭはジャズです。カンツォーネやシャンソンでは、ちときついという事なのでしょうか。しかし店主（絶対に誰にも見つからないようにこっそりとレオンをチェックしている）は、実はあまりジャズに詳しくないので有線放送かネットラジオです。勢い、ゲッツとかロリンズとかハービーとかサラとかエバンスとかパウエルとかマイルスのプレスティッジ盤とか、超の上に超がつくベタジャズを流してしまいます。更に、大抵とても読みにくいフォントのメニューが置いてあります。異様に大きな皿の真ん中にちょこんと料理がのっています。店員のチームワークもばっちりで、開店前の１５分ミーティングも欠かしません。だからどの店員もとてもにこやかで楽しそうに働いています。既に私はげっぷが出そうです。このように考察してゆくと、お洒落店にしようとすればするほど実は定型化してしまうのです。どうしてもっと普通に出来ないのかなあ、フツーに。そういう店に居ると客の方が照れ臭くなってしまいます。結句、このようなお洒落系飲食店には、２０代から３０代前半のＯＬが溜まるようになります。ＯＬが溜まっている飲食店は旨くないという事は世界的常識なのですから、須く料理は旨い筈がありません。何故なのか。まず、ＯＬはスタバやベローチェといったカフェチェーン店のコーシーを好んで飲みます。あの手のコーシーを旨いと感じている時点で既に終了しています。また、女性は店舗内装や食器、店員の服装などの雰囲気にとても飲まれやすい。そして決定的な理由は、ＯＬは可処分所得が低いという事です。可処分所得の低い者（パパがいるＯＬは除く）は普段から旨いものを食っていませんので料理の微妙な味など全くわかりません。あなたの周りに出没するＯＬに対し試しに、今が旬の魚を５種類挙げよ、と質問してみればよい。返答に窮する事は目に見えています。その点、可処分所得の高いオヤジ（オヤジでも可処分所得の低い人は居ますが）は違います。普段から自腹で旨いものを食っております。したがって心なしかオイリーかつチョイエロですが、それは仕方がない。店舗内装や食器などというフンイキモノには絶対に騙されません。「俺は昨日水谷行って、当てで鮪と鰹をたらふく食ってきたんだかんな。当てだよ当て。握りじゃないよ。だからね、いくら綺麗に盛り付けても、こんなカルパッチョ全然駄目。話になんね。オヤジをなめんなよ」ってな具合です。店であれ服装であれ、お洒落に見えないのが洒脱なんであって、一見して洒落て見えるのは、垢抜けず、無様な事の証左なのである</span><span style="font-size: small">。一見何の変哲もないポロシャツ（実はフレッドペリーのビンテージ）を着て、一見どうってことないデニム（</span><span style="font-size: small">実は４７の５０１）を穿き、フツーのブーツ（実はジョブマスターのセカンドモデルで、既に１０回以上リソールしている）を履いて、明治時代から続いている洋食屋でひなかから江戸団扇で扇ぎながらビーフカツレツで呑む。本当はこんなのが一番洒落ているのです。日本橋はそんな街だったのです。誰に申し上げてよいのか判りかねますが、もうこれ以上日本橋をオサレエリアにしないで下さい。そういう店をやりたい人（そういう店が好きな客）は、港区か、渋谷区や目黒区で思う存分オサレパワー全開の店をやって下さい。決して中央区には来ないで下さい。千代田区にも来ないで下さい。台東区にも来ないで下さい。江東区にも来ないで下さい。墨田区にも来ないで下さい。どうか御願いいたします。</span>
</p>
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    <title>お問い合わせに際しての御注意</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ontario-ss.com/cgi-bin/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=14/entry_id=344" title="お問い合わせに際しての御注意" />
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    <published>2010-08-04T02:36:32Z</published>
    <updated>2010-08-04T02:55:02Z</updated>
    
    <summary> 当店のＨＰを御覧頂き誠に有り難う御座います。 当店は、毎日沢山のお客様からお問...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">当店のＨＰを御覧頂き誠に有り難う御座います。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">当店は、毎日沢山のお客様からお問い合わせを</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">頂きますが、その全てに必ず返信を差し上げております。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">返信が届かない場合は、お客様のメール設定上</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">の問題で返信出来なくなっている可能性が御座います。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">お問い合わせフォームからのお問い合わせに際しては、</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">御自身のメール設定をご確認の上、送信して下さるよう</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">御願い致します。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">何卒宜しくお願い申し上げます。</span>
</p>
]]>
        
    </content>
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    <title>ケーサミーノの実際</title>
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    <published>2010-07-20T04:59:45Z</published>
    <updated>2010-07-21T07:03:10Z</updated>
    
    <summary> 私にとって酒を呑むという行為は、滅法峻厳な研鑽であると、以前この場で何度か述べ...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">私にとって酒を呑むという行為は、滅法峻厳な研鑽であると、以前この場で何度か述べた。しかしながら甚だ不本意な事に、私のこの主張を質直に信用せず、不信感や疑念を抱き、邪推する無礼極まりない読者が多く潜んでいる事実が判明した。判明した以上、この失敬千万な状況を放置しておくわけにはいかない。毎夜毎晩自らを律し、酷烈な修行に忍の一字で耐え抜いている私に対し何たる非礼であろうか。そのような非礼で想像力に欠けた読者の為に、その修行が如何に厳しいものであるか、ここに逐一述べてゆく事とする。まず始めに、その伝説とも言える飲酒道の銘は「ケーサミーノ道」</span><span style="font-size: small">である事を宣言する。それでは以下に、「ケーサミーノ道」の実際を記すが、襟を正し、厳粛な心持を保ち、細大漏らさず理解し修得する努力をして頂きたい。また、ケーサミーノ道には、極めて高い技術が要求される、或いは家庭崩壊や身の危険が伴う内容も含まれている為、初心者は決して無理をせず、まずは自分にとって可能な範囲でケーサミーノ道を励行されたい。一方、それらの危険を一切顧みず、難攻不落のケーサミーノ道に身を投じる覚悟のある者はこの限りではない。</span><span style="font-size: small">ではその実際に移る。目途の店（頻通する店と仮定する）の前に到達する。既に左手には、そこばくの痙攣症状が顕れているが、焦ってはいけない。一度深呼吸をし、沈着に呼吸を整え、年季の入った暖簾をくぐりつつ静かに引き戸を引いて店内に入る。早くもここからが難関である。店内に入ると同時に、板場に立つ主人に目礼する。大声で「こんちはー」とか「こんばんはー」とか「ようっ！」とか「あー、暑い暑い！」など、厳禁です。あくまで目礼。この目礼をする一瞬によって、その日の主人の機嫌を見抜きます。目礼に続いて流れるような所作で眼球のみを動かし店内を一瞥し、客の入りを確認します。続いて着席となる訳であるが、何時もの自分の席に見慣れぬ先客が陣取っていても、慌てたり、取り乱したり、不機嫌になったりしてはいけません。このレベルでうろたえるようでは、ケーサミーノ道では門前払いとなります。たまには違う席も好いもんだと考え動揺を抑制します。冷静に、おもむろに、先客の二つ右隣に着席します。さて、ここまでの段階で、その日の店の状況を完璧に把握しなければなりません。この状況把握の良否が、その晩の全てに影響してくるのです。ケーサミーノ道の入門試験では、ここまでの制限時間が７秒とされています。一秒の遅れも許されません。厳しいでしょう。かなりの才能を持った者であっても、初めはどうしても１９秒位かかってしまうようです。たゆまぬ鍛錬によって少しずつ時間を縮めてゆくしかありません。ちなみに私の様な酒神（ケーサミーノ道では究極の最高位で「しゅじん」と読み、その下位には酒鬼、酒霊、酒魂、酒聖、酒星、酒雷、酒皇、酒王、酒臣、酒賢、酒凡、酒獣、酒牙、酒畜、酒堕、酒貧、酒卑、酒屑、酒糞、と続き、更にその下位には１０段から２０級までの段位が設定されている）</span><span style="font-size: small">ともなると、暖簾をくぐった瞬間から着席までに必要な平均時間は、約２秒です。まさに電光石火の所業と言えるでしょう。また酒神である私の身のこなしは敏捷なだけでなく、著しく滑らかな為、店内の空気を殆ど揺らしません。であるからして、私が入店し着席した事に店員が気付かない場合が良くあります。この歴然たる事実一つを採っても、私が練達の酒神である証左となりましょう。第二段階に移行しましょう。カウンター席に着席しても、箸、ボトル、氷、通しがなかなか出てきません。ここでもやはり機嫌を損ねてはなりません。店で働く人達にも様々な事情があるのです。眉毛一つも動かさずに煙草に火をつけ紫煙を燻らせます。この時っ！！</span><span style="font-size: small">ジッポーは駄目です。ダメダメです。ジッポーのあの開閉時に発生する金属音はいけません。耳障りです。ダンヒルやカルティエ、デュポンなら及第点、サロメの蓋なしガスライターあたりであればモアベターです。さあ、一式がそろったところで、いよいよ一品目の肴の注文です。この時に、先程の第一段階での状況把握が生きてくるのです。板場の主人の体調、或いは機嫌が悪そうな時、また店が混雑している時は、手間のかからない簡単で値の張る肴を注文します。主人の機嫌も良く、店も空いている場合、遠慮なく好きな料理を頼みましょう。この程度の事は、少し呑み慣れている御仁であれば実行されているかも知れません。この先がケーサミーノ道の本領である。主人の機嫌は良いが、店が混雑している場合、串物を注文する。何故か。串物は焼いている間、手を離す事が出来、その焼け具合を横目で見ながら別の料理を同時進行させる事が可能だからです。主人の機嫌が悪く、店が空いている時、こんな場合は迷わず一番値付けの高い</span><span style="font-size: small">料理を御願いしましょう。主人の機嫌も少しは回復する事でしょう。</span><span style="font-size: small">どうですか。ここまで読んで読者諸賢も少しはケーサミーノ道における細やかな気配り、厳しさを感じとれたかと思います。そうなんです。呑み屋では、何時でも自分の好き勝手に料理を注文出来る訳ではないのです。店内に飛び交うありとあらゆる情報を全て瞬時に把握し、永年の経験に基づいた完璧ともいえる判断によって注文する料理を決定せねばならないのです。端的に言えば、店主以下、従業員と私は一致団結し、その日の営業を盛りたててゆくのです。ここまで気を使うと本当に疲れる。酔ってる暇も料理を味わっている余裕もありません。もう客なんだか従業員なんだか判らなくなってしまいへとへとです。ですから修行なのです。当然ではありますが、この他にもケーサミーノ道の道訓は数限りなく制定されている。その主要な一部を列挙する。どんなに通い詰めた店でも常連面をしてはいけない。複数で呑む場合、極力２、３人にとどめ、多くても４人にするべし。（大人数になればなるほど緊張感が低下する為、どうしても会話のボリュームが上がり、他の客の迷惑になることに加え、団体客は客単価が下がるため店にとってもあまり嬉しくないのです）店の人に馴れ馴れしく接してはいけない。裏メニューなどを食べて得意になってはいけない。ちょっと火の通りが甘い料理が出されても怒ってはいけない。（忙しい時にはそういう事もあります）店主が何かサービスしてくれた時には心から感謝すべし。店員との会話は原則敬語で通す。客同士で決して派閥を形成してはならない。女性店員をオネーチャンと呼んではいけない。オネーサンはぎりぎりセーフである。酔えば酔うほど声を小さくすべし。理屈を語ってはならない。あらぬ事を口走ってはいけない。足元がふらついてはならない。なるべく自転車で移動し、必ずまっすぐ走らねばならない。そして酒手は何時も少し多めに置いてゆくべし。しかしながら、いざという時の為に、タクシー代まで使い込んではならない。皆さん、これを読んだだけでケーサミーノ道を理解したようなつもりになってはいけません。慢心は失態を演じる元凶です。実践をともなってこそのケーサミーノ道なのです。さあ厭な事は全て忘れ、今すぐにシャワーを浴び、家族の制止を振り切り、財布を掴んで夜の街に飛び出そう！</span>
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    <title>引き籠れニッポン</title>
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    <published>2010-07-07T06:15:26Z</published>
    <updated>2010-07-08T09:47:40Z</updated>
    
    <summary>地下鉄の中で優先席に座りながら、目の前に老人や障害者、妊婦が立っていても席を譲ら...</summary>
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        <![CDATA[<span style="font-size: small">地下鉄の中で優先席に座りながら、目の前に老人や障害者、妊婦が立っていても席を譲らない若者に怒りを覚える大人は極めて低いレベルで思考停止している相当深刻な馬鹿である。私は斯様な光景を見るに、「なるほど、至当だな。譲る訳ないよな。やっぱり若者は正直で正しいな」と安堵する。覇気のない若者、労働意欲の無い若者、些細な事ですぐに挫け、何をやっても長続きしない若者、義務を拒否し権利ばかり主張する若者を「そうだそうだ、君たちは論理的且つ徹底的に正しい。そのままでいいんだ。何も変える必要などない。素晴らしいぞ！」と心から助勢したくなる。言うまでもなく、子供から若者まで（つまりは大人未満の人間）の生活態度や行動形態を決定づけるのは家庭教育、公教育そして社会情勢である。高度経済成長期を奇貨として、当時の愚昧な宰相が発した所得倍増計画などという安手の言句に翻弄され、何ら批判的精神を持たずに唯々諾々と国家に隷属してきた今の老人（当時の大人）が前述の若者達を生み出したのだ。今の若者の親の世代、そのまた親の世代がやってきた事の結果が今の若者といえる。若者に全く責任はない。全ての責任はその時代の親、或いは大人にある。優先席を譲らない若者に怒る老人や大人は、自分のやってきた事の結果に怒っていることになる。本物の馬鹿だなあ。馬鹿の極みとしか言えない。この現実を目の当たりにしても、少なくとも自分の子供はあんな若者ではない、正しい教育をしてきたと胸を張る親がいる。確かにそうかもしれない。あなたの子供は優先席でなくとも率先して弱者に席を譲るかもしれない。努力家で働き者かもしれない。そして通俗的には好感の持てる若者として評価されるだろう。しかし、実はあなたがいわゆる良い子を育てたところで残念ながら殆ど社会的意義はないのである。問題の本質はあなたが現役時代に、社会に対して主体性を持って何をどう働きかけてきたのかということなのだ。この問いに自矜を持って応じられる人は私も含めて殆どいないであろう。ではどうすればよいのか。全く何もしなくてよいのである。自らを原因とする行いの結果は、あるがままを潔く甘受するのが正しい。優先席を譲らない若者を見ても決して怒ってはならない。公共の場で傍若無人に振る舞う若者に文句を言ってはならない。批判してはならない。しかと見届け自省するべきである。その光景はまさにあなたがやってきた事の結果なのだから。他方、当の若者はどうすればよいのか。どうせ生きる意欲がないのなら、思う存分引き籠りましょう。私は引き籠りが悪いとは全く考えない。むしろ引き籠りとは、現代社会において最もスタイリッシュでソフィスティケイトされた対社会レジスタンスだと断じる。一切の生産活動を拒絶し、自室に閉じこもってひたすら親の財産を食い潰すその画期的且つ強力な戦略は、自然発生的とはいえ実に見事であり称賛に値する。家族以外の他者に直接的被害を及ぼす事もない。さらに引き籠りは、最終的には自己破滅を招く事を覚悟の上で遂行されており、この点においても極めて清廉で精神的美学を感ずるのである。引き籠りは、対社会レジスタンスにおける至高の完成型であり金字塔なのだ。以上の美点を鑑みて、私は若者に引き籠る事を強く勧める。些か齢をを重ねすぎたが、私もそのうち必ずや引き籠ってみせる。多くの若者が引き籠ればそのうち税収は減じ、ただでさえ多い外国人労働者が増え、貧富の差はますます拡大し、治安は悪くなり、日本は加速度的に荒廃し衰退し、崩壊する。すでに日本は間違いなく斜陽国である。斜陽国の何が悪かろう。何の因果か、自分が偶然生まれおち、一時は隆盛を極めた国家が老いさらばえ、朽ち果て、崩壊してゆく様をゆったりと眺めるのも悪くないではないか。私は是非ともその瞬間に立ち会いたい。枯れ木の姿にも味がある。そもそも資本主義国家が永遠に経済発展を続けるなどということはありえないのだ。そして全ては前時代を無責任に生きた大人のせいなのだから。ここは一つ、潔く現実を受け入れませう。</span>]]>
        
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    <title>反逆のファークラス</title>
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    <published>2010-05-30T04:21:30Z</published>
    <updated>2010-06-04T08:48:00Z</updated>
    
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">日々の生活の中で起こる事の殆どが、私にとって著しく不快であり、苦痛であり、うっとうしく、煩瑣で、まるで熱すぎて入れない風呂の如く私をイライラさせ、ひたすら苦しめるのである。こんな事を書くと如何にも私が変人で偏屈な癇癪持ちの様に思われるかもしれない。それは自覚しております。しかしこんなブログを読んでいる貴方も相当変わっていますぞ。例えば、貴方が毎日死闘を繰り広げている満員電車。そのまま佃煮になってしまいそうな状態で職場に突進しなければならない現状に腹が立ちませんか。その満員電車の中で何としても新聞を読まんと異常なまでに執念を燃やしているたわけ者から、新聞を奪い取り、八つ裂きにしてやりたくなりませんか。貴方の背中の方で、佃煮電車にもかかわらず何故か愉しそうに電話をしている若い女性の携帯をへし折り、百叩きの刑及び火あぶりの刑に処したくなりませんか。電車を降りても、自動改札でチョンボしてつっかえているまぬけを見ると、後ろから強烈なドロップキックを食らわせて、そのまま自動改札を通過させてやりたくなりませんか。そんな事にいちいち腹を立てていたらきりがないし、浮世を生き抜く事はできないさ、と思った貴方。それが良くない。実に良くない！</span><span style="font-size: small">貴方のその事なかれ主義が世の中を悪い方向へ導いてしまっているのです。不愉快な事は不愉快だと大きな声で叫びましょう。恥ずかしがっていてはいけません。皆が一日中、不愉快だ！こんなの厭だ！お前なんてあっち行け！と絶叫すれば、必ずや社会は快方へと向かうでしょう。さて、過日丑の刻、所は馬喰町のショットバー。すでに三軒目という勢いも手伝って、私はグレンファークラスの２５年を奮発し、一人ほくそ笑みながらちまちまと呑んでおりました。</span><span style="font-size: small">一口呑んでは矯めつ眇めつし、早くも一杯目が消え去り二杯目を呑み始めた刹那、入口の重い扉を押し開き、妙齢の麗人が一人現れ、私の二つ隣のカウンタースツールを陣取りました。いやはや何と申しましょうか、この御麗人。とにもかくにも香水がきつい。いや、きついなんてもんじゃありません。頭からたらいで香水を被ったみたいです。これはどうしたものか。私は、津波のように押し寄せてくる猛臭と格闘しながら朦朧とする思考を奮い立たせ、少時考えました。しかし、その間にも猛臭は私の体力をじわじわと奪ってゆきます。いかん！もう我慢ならん！「御免下され、御麗人！御無礼を承知で進言致しますが、貴方いくらなんでも香水がきつすぎますぞ！臭い臭い！臭くて臭くて鼻が曲がりそうです！貴方のお陰でスペイサイド系シングルモルトの雄、グレンファークラス２５年が台無しじゃないですか！どうしてくれるんですか！貴様のような輩は直ちに帰宅ののち即座に湯に入り、へちま及び糠袋で徹底的に体をこすり、その猛臭を洗い流すがよい！！」私は堂々と自らの不快感を表明すべく爆臭麗人を面罵したと同時に、反撃に備えました。</span><span style="font-size: small">落ち着いた空気と節度ある賑わいに満たされていた店内は、私の暴挙によって一気に通夜の如き様相に転化しています。入店したばかりで、まだ何も注文もしていない烈臭麗人は私の面罵をまともに受け、暫時あっけにとられていましたが直後、両手で容顔を覆い嗚咽を始めました。やがて嗚咽は号泣へと昇華し、店内は取り返しのつかない炎臭麗人の号泣ワンマンショーとなってしまいました。うーむ、この状況はもはや私の手に負えん。こうなったら止むをえまい。甚だカッコ悪いが逃げるしかないな。私は小声でマスターに詫びを入れ、酒手を多めに置いて、更にヒートアップする号泣ショーを尻目にそそくさと店を出た。愛用の自転車を押して帰路につこうとワイヤーロックを外していると、私を追いかけるようにマスターが店を飛び出してきた。そうか、この店はもう俺は出禁だな、まあ仕方がない。と思ってマスターが近づいて来るのをまっていると、「いやーＪさん有り難う御座います」「ええっ！」「あのお客さん見たことありませんか。女優なんですよ。しかしあの香水の匂いにはホントに閉口してたんです。最近週に二回はこの時間に来るんですよ。実は他のお客さんからも評判わるくて、、、よくぞあそこまで言って下さいました。助かりました！」</span><span style="font-size: small">「、、、い、い、いや。どういたいまして、、、」皆さんどうです！私の叫びによってかくも多くの人々を幸福へと誘ったのです。皆さんも今までの事なかれ主義とは本日をもって決別し、厭なことは厭だと、不愉快なことは不愉快だと明瞭に叫ぼうではありませんか。私は毎日不愉快なことばかりだー！！</span>
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    <title>短絡的思考回路</title>
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    <published>2010-05-28T01:28:43Z</published>
    <updated>2010-05-28T06:15:37Z</updated>
    
    <summary> 聞いて下さい皆皆様よ。私はイタリアなんて全然好きじゃありませんし全く興味も御座...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">聞いて下さい皆皆様よ。私はイタリアなんて全然好きじゃありませんし全く興味も御座いません。なんか嫌なんだなあ、誤解されて。私が仕事として取り組んでいる対象物がたまたまイタリア製の工業製品だというだけの事であって、そんなことは私にとってどうでもよいのです。ロシア製だろうとアルゼンチン製だろうとリビア製だろうと本当にどうでもよろしい。この仕事をしていると、イタリア好きでイタリアに頻繁に行っててイタリア文化に造詣が深く、性格もラテン系（安っぽい言葉だなあ）などと思われる事が多いのです。この際はっきりと申し上げましょう。私はイタリアなんぞは大嫌いです。まあイタリア料理は旨いと思うし好きだけど。かといって、私は自国である日本もさほど好きではありませんし、いわゆる愛国心などというものは絶無です。偶然日本に生まれただけであり、日本人であることに何の価値も有難味も感じません。ただ、冷徹かつ客観的にみて、日本の庶民（あくまで庶民です）生活の中に散見される謙譲心や忍耐力、抑制の効いた感情表現は極めて崇高で、本質的な品性というものは何かということを如実に物語っていると思うのです。これは西欧における表面的で安手の道徳心とは完全に一線を画するもので、思慮の浅い西欧人には到底理解できないものです。ですから、日本とて呆れるくらいの愚国には違いないが、少なくともイタリアよりはましだと感じます。私のイタリア人に対する評価は、友好的に見えて実は甚だ狡猾にしていい加減、そのくせ無闇と自尊心ばかり高く、何でも自国が一番だと思っており、口では相手の国を褒め称え笑顔を振りまきながら心の底ではアジア人を徹底的に馬鹿にしている、とこんな感じです。どうです、イタリアに詳しい方々、実に的を射た指摘でしょう。だいたいなんですか、あのピチピチでつんつるてんのスーツは。誰がどう見てもカッコ悪いですよ、アレ。生地も薄っぺらで縫製も甘く、ジャケットの袖なんてちょっと引っ張っただけで取れてしまいそうです。ましてや、あれをお洒落だと思い込んで着ている日本人は噴飯ものですな。あと、先っちょが異様に長くとんがった靴、アレも全然ダメ、お洒落じゃありません、下品です。傾いた塔を直しもせずに放置しているのも私としては断じて許すことはできません。きちっと垂直に直しなさい、危険だし。ベネチアなんてびちゃびちゃの水浸しじゃないですか。あれが日本だったら直ちに総力を挙げて排水設備を完備し、たちどころに解決してしまうだろうなあ。さて、ここまで言えば私がいかにイタリア嫌いか御理解頂けたかと存じます。あ、そうだ。思い出した！半年以上前でしょうか。イタリアにも尊敬すべき人が少しはいるんだなあと思った事がありました。ベルルスコーニの顔面に向かって重そうな置物を投擲し的中させ怪我を負わせた人。どこの誰だか知りませんが、あのイタリア人は偉いと思いました。しかしながら、重ねて申し述べます。私はイタリア及びイタリア人が大嫌いです！</span>
</p>
<p>
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    <title>バーバリズムの民</title>
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    <published>2010-03-20T05:24:26Z</published>
    <updated>2010-03-21T08:01:17Z</updated>
    
    <summary> 日本の漁船が直接被害を受けているせいか、シーシェパード（以下ＳＳ）の活動に関す...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">日本の漁船が直接被害を受けているせいか、シーシェパード（以下ＳＳ）の活動に関する報道を頻繁に耳にする。一般的にＳＳは、過去に何度も逮捕者を出している特殊特異な暴力組織として認識されており、その一般認識は誤りではないだろう。だが、ＳＳの根本思想は決して特殊なものではなく、欧米における白人社会の中で数百年に渡って脈々と受け継がれる戦慄すべき差別思想なのである。ＳＳは海洋生物の保護を標榜しているが、ＳＳの沈没船による重油流出やワイヤー等の海洋投棄など、彼らの活動が結句、環境破壊につながっていることはかねてから指摘されている。では、何故ＳＳは合理的な根拠もなく、蛮力的で矛盾に満ちた違法暴力活動を断行するのか。それは、白色人種（特にアングロサクソン）特有の根本思想を堅持し、その思想の存在感を世界に示威する為なのだ。彼らのその思想とは、極めて低劣な二元論に基づいた短絡的なマキアベリズムである。この二元論的マキアベリズムは、ＫＫＫの後身でアメリカ社会に絶大な影響力を持つ全米最大のロビー団体である全米ライフル協会の思想と通底する。人間の多様で複雑な社会活動を極度に単純化し、善と悪に二分する手法は昔から軍隊や企業の社員教育にも悪用されており、大衆洗脳及び大衆扇動、また組織内の意志統一に最も適している。こういった二元論を判断基準に据え、自らの主張要求を押し通す為には憚ることなく暴力に訴えるマキアベリズムこそが、ＳＳの紛れもない正体であり、転じて彼らの活動力の源泉ともなっている。つまりは、護る対象が海洋生物か銃かという差異のみなのであって、ＳＳも全米ライフル協会もＫＫＫの行動原理と軌を一にする。ＳＳの、他国の食文化に干渉する傲岸さや、全米ライフル協会が事あるごとに主張する銃を持つ権利という浮薄な暴力主義はどちらも斯くの如き選民思想に端を発するのである。はたして、昨今の日本の調査捕鯨船に対するＳＳの妨害活動は、改めてコーカソイドの粗暴粗雑な性癖を世界に知らしめ、良識ある民族から嘲笑を買う結果となった。しかし残念ながら、コーカソイドという失敬千万で狡猾な狼藉人種に世界を支配されているのが現実だ。世界のあらゆる紛争に介入し、火に油を注ぎ、強引に自国の利益に結びつける彼らの常套手段に、世界は未だに翻弄され続けている。謙譲の精神など微塵もなく、自らの過ちを省観するという概念そのものが完全に欠落した蛮行人種が天誅覿面となることを祈るばかりである。読者諸賢！せめて鯨と鮪を腹が張るまで食おうではありませんか！</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
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    <title>誠にもってあほらしや</title>
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    <published>2010-02-10T02:18:19Z</published>
    <updated>2010-02-10T08:08:46Z</updated>
    
    <summary>近時、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」による収支報告書虚偽記載事件に対するマスメ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ontario-ss.com/blog/">
        <![CDATA[<span style="font-size: small">近時、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」による収支報告書虚偽記載事件に対するマスメディアの茶番報道を見聞するに、あらゆる意味で自国の愚劣さを痛感する。特捜が意図的に漏らす情報を何ら検証することもなく安直に垂れ流し、その直後に行う結果のわかりきった恣意的な世論調査によって国民を扇動し世論形成を成し遂げるというマスメディアお得意の見え透いた、安手の子供だまし的手口に、大多数の国民は未だに騙され続けているのである。本当におめでたい国である。当然のことながら、現存するマスメディアの殆どは、民間企業から流れる広告料という名の口止め料に全面的に依存し、自浄能力の欠落した救いようのない組織であることは言うまでもない。報道する事に何の意味も持たない軽微な犯罪記事、広告主べったりの溢れかえる提灯記事、挙句の果てはタイアップ記事（記事風の有料広告）というウルトラＣのオンパレード。こんな組織が発する情報の何を信用出来ようか。だが、マスメディアの利用価値はある。マスメディアが流す情報を知ることによって、何が報道されていないかを知るのである。国民にとって真に須要な情報というものは、常に隠蔽される運命にある。過去の例を挙げれば枚挙に暇がないが、その典型が今回の陸山会収支報告書虚偽記載事件と言える。結局のところ政とは権力闘争に収斂する。そんな卑陋な権力闘争の世界に身を投じ、没頭するような輩にろくな人物がいないのは自明の理である。なかんずく、国会議員など皆、叩けば埃の出る体、魑魅魍魎の衆ではないか。国会議員、政治家を、まともな人間として、社会通念という物差しで見る事自体が大きな間違いなのである。一般常識からかけ離れた異常な人達なのであるから、異常な行動をとって然るべきだ。全くもって驚くに値しないし、立腹する余地もない。このように勘考すれば、今回の事件が如何に瑣末で下らぬものか明らかであろう。こんな事件は駐車違反か酔客の喧嘩程度の話だ。代議制及び間接民主制という本質的に重大な欠陥を抱えた制度を採っている限り、この程度の事案は恒常的且つ永続的に発生するのである。４億だろうが、４兆だろうが、この人達が何をやっても仕方がない。まともに考えるだけ損だ。だって普通の人達じゃないんだから。妖怪なんだから。マスメディアがこんな些細な事件をことさら大げさに報道するのは何故なのか、何をそんなに隠したいのか、という事を考察することが枢要である。特捜の動きも誠に不自然であった。西松建設の一件でコケにされた意地なのか、情報リークによってメディアを利用し、何としても世論を味方につけ、自らの捜査を正当化しようと必死になってもがき苦しむ彼らに憐憫の情さえ覚えた。結果、証拠不十分で小沢一郎本人不起訴。特捜の完敗である。恥の上塗りをしてしまいましたな。流石小沢一郎センセイの牙城は堅かった。この人は本物の妖怪ですな。特捜恥ずかしや。世の中って本当に馬鹿馬鹿しいですね。私は政治家、或いは政治家にならんとする人の気がしれません。それにしても、この一連の騒動は何だったのか。実は私は全てを知了しているのです。それは、、、、、、。とてもここでは申し上げられません。恐ろしくて恐ろしくて。とてもとても。あー怖い怖い。この続きは小舟町で。</span>]]>
        
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    <title>日、没すれば杯を</title>
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    <published>2010-01-28T07:55:39Z</published>
    <updated>2010-01-31T01:48:42Z</updated>
    
    <summary> ここのところ、いや、しばらく前から、全くと言っていいほど欲しいものが無い。何か...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">ここのところ、いや、しばらく前から、全くと言っていいほど欲しいものが無い。何か買い物でもしようかと店に出向いてショーケースを眺めていても、そこにある商品の全てがなぜか自分には無関係のように映り、食指は動かない。では欲しいもの、或いは欲しかったものが全て手に入ってしまったのかといえばそうでもない。以前は喉から手が出るほど欲しかったシュアファイアーの１０Ｘを見ても、ホワイツのスモークジャンパーを見ても、ドキドキしないのである。物欲を奮い起そうとショーケースにしがみついてシュアファイアーを凝視しても駄目でした。仕方がないので、帰途に立ち寄った丸善で小説の２０冊も購索し、居室に籠ってひたすら読み耽るのである。最近流行りの佐伯泰英は、確かに面白いが実に下らない。さて、物欲が減退するということは、はたして良事なのか悪事なのか。まあ実際大した事ではないのだろうけど、何となく生活に張りがなくなりますね。これは。やはり、欲しいものがある人というのは、見ていて溌剌としていて輝いていていいものだ。車が欲しい！バイクが欲しい！家が欲しい！金が欲しい！嫁さんが欲しい！シャブが欲しい！サブマシンガンが欲しい！出刃包丁が欲しい！油田が欲しい！核兵器が欲しい！権力が欲しい！いいなあ、こういう欲しいものがある人は。本当に羨ましい。んー、、、このままではマズイ。自らの心に刺激を与えるべく自室にて一人、小声で叫んでみました。「バルニーニのメタルキットが欲しいぞー！」、「ロンソンのビンテージライターが欲しいぞー！」（なんか小さいな）駄目です。全然欲しくなりません。そうだ、部屋で書見ばかりしていては何も解決しない。今一度外に飛び出そう！、、、、。我に返ると、いつの間にか小舟町の飲み屋のカウンターに鎮座しておりました。なぜか誠に心が休まります。自宅よりも安心できます。真澄を二つ呑んだところで気が付きました。そうか、俺が欲しかったのは酒じゃないか。うんうん、そうだそうだ。鱸も、ぶり大根も旨いなあ、ええーい鯛飯も頼んじゃおう。一気に幸福感に包まれた私はひたすら杯を重ねました。やがて私は店主に追い出され、睦月の冷徹な夜気に晒されると、先ほどまでの心の充足感は急速にしぼんでしまいました。いかんいかん、こんな事では。せっかく芽生えたマイハピネスをこのまま失ってなるものか。焦燥感に駆られた私は、もう無我夢中で人形町へと稲妻の如く疾駆致しました。気がつけば、新大橋通の小料理屋のカウンターに摑まっています。喩えようのない安堵感、また、筆舌に尽くしがたい至福の時が流れます。極上の湯豆腐で天ノ戸を二つやると、マイハピネス（心の風船）は極大となりました。むふふふ、これぞ真の至福じゃ。ささ、今宵はこれ位にしてマイハピネスが破裂しないうちに荒屋に戻るとするかな。夜更けの甘酒横町をヒタヒタと歩き、貧家の自室に到達すると、どうした事でしょうか、極大となっていたマイハピネスは立ち所に雲散霧消し、耐えがたい虚無感が大きな重しとなって、私にのしかかってくるのでした。しかし一晩寝臥し翌日ともなると、私にのしかかっていたあれほど大きな虚無感は、影も形もなく消え去り、明鏡止水の心境となります。そしてまた日が没すれば、小舟町、人形町、馬喰町、ちょっとでばって田原町と、私は血眼になって東奔西走するのです。斯様な沙汰を返覆していて、私の行く末は如何様となるのでしょうか。とても心配なので、たれぞ御指南下さい。</span>
</p>
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    <title>真贋明皓</title>
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    <published>2009-12-03T08:14:37Z</published>
    <updated>2010-01-29T05:10:27Z</updated>
    
    <summary> 久しぶりに御用学者の傲慢ぶりを垣間見た。民主党の事業仕分けによってスーパーコン...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">久しぶりに御用学者の傲慢ぶりを垣間見た。民主党の事業仕分けによってスーパーコンピューターの開発予算削減を宣告された当の研究者共である。この宣告に狼狽した研究者共は過去のノーベル賞（私はノーベル賞ほど超権威的で低劣な賞はないと考えているが、ここではそれについて詳述を避ける）受賞学者を引き連れ、緊急声明と銘打ち口角沫を飛ばし自分達の研究の社会的重要性を訴えていた。中でもノーベル化学賞を受賞した野依氏は「将来、歴史の法廷に立つ覚悟でやっているのか」と強い口調で事業仕分けを批判していた。これまた随分と大きく出たものである。たかだか一介の功名心に駆られた御用学者如きが何様のつもりなのだろうか。では野依氏は研究が何の実質的成果も無く失敗した時に責任をとる覚悟でやっているのであろうか。そう。こういった税金に頼りきった仕事をしている連中は、失敗しようが砕け散ろうが責任をとるつもりもないし、始末のつけかたも存知していない。学者の世間知らずという言葉があるが、そういう意味で呑気なものである。ロジックに依拠した思考回路しか持たず、科学を妄信する（理系の中でも特に工学系に顕著である）者の愚かさがその下賎な顔に露顕し、我々の研究開発に必要な予算は、何事をも差し置いて優先されるべきと言わんばかりの風概であった。確かに日本は技術立国であるし、科学技術の枢要性は認めざるを得ない。しかし現在の大学の研究室に於ける技術開発は、常に民間企業の市場原理と密接な関係にあり、莫大な金を注ぎ込む単なる資金力競争に陥っている。資金力競争に引きずり込まれる事が何を齎すかは、米ソ冷戦の顛末を思い起こせばあきらかであろう。アメリカに煽られ、膨大な資金を浪費する軍拡競争に走った旧ソ連の崩壊は未だ記憶に新しい。時代の差異、スケールの大小はあろうが、昨今の大学の工学系研究室によって行われている技術開発は、見事にこの歴史的事実に重なると同時に、本来、民間企業が担って然るべき分野である。企業から僅かばかりの研究費をつかまされ、懐柔され続けてきた結果、大学というものが民間企業の下請け機関に成り下がってしまったのだ。学問とは戦争でもなければ勝負でもない。普遍性を持つ新たな原理原則を究明する事が本分である。さもしい市場原理などとは最も乖離し無縁なものでなければならない事は当然として、この絶対的大原則を安直に放擲し、近視眼的視点による即、民間転用可能な技術ばかりに傾注している現状は、到底学問と呼べるような代物ではない。私は、先端技術開発に莫大な予算をさくのは、もはや時代遅れであると考える。新たな工業技術というものは、一時的には富を産むものの、瞬く間に普及し一般化し、その技術の経済的価値は数年の内に殆ど無に帰してしまう。これは、単なる博打であり、本物の技術ではない。本物の技術とは職人と芸術家の世界にしか存在せず、時が経てば経つほどその存在価値は増し、光輝くのである。長きに渡って市井の臣の中で磨かれ培われてきた本物の熟練技術は、多大な尽力、時間を要し、一朝一夕に会得できるものではないが、金はそれほどかからない。金によって作られたものは、金によって滅びるのが宿命といえる。更に言えば、科学技術の進歩は無論、人の生活に於いて利便性、快適性を高めるが、人類を本質的に幸福にはしない。寧ろ、人間を著しく堕落させる。（それは私を見れば明らかである）　アーミッシュの人々の生活が、その宗教的要素は別にして、限りなく高潔で、この上なく美麗に映るのは何故なのか、説明の必要はないだろう。既述した通り、私は科学技術開発を全否定はしない。むしろ一定度の枢要性はあろうと思う。科学技術開発とは、所詮スポーツと同程度のものであり、やりたい者は勝手にすればよろしい。ただ、それに１２００億という膨大な税金を投入するのは言語道断だ。科学技術が衰退しようと何の問題もない。日本は元来、農業と職人の国の筈である。今の似非先進国日本には食うや食わずの人々が山の様に存在するのである。件の御用学者どもは一度でもよい、山谷に行き弱者の実情を直視すべきである。彼らに少しでも人間としての良心があるならば、二度とあのような尊大で卑賤な台詞は吐けないだろう。繰り返し言おう。やりたければ勝手にやればよい。全て自分の金で。自尊心の高い天下の大先生達が税金にぶら下がろうとは、いくらなんでもみっともなくはないだろうか。金が無いなら、植村直己の著作を読むが良い。そこに全てが書いてある。彼は金や地位名誉に頓着せず、その生涯にわたって清貧を貫いた。彼は冒険の職人だ。植村の偉業の前には他の全てが色褪せて見える。本物とはこういう人物なのである。ノーベル賞如きを授与され、鼻の下を長くしている学者なんぞは、権威主義に染まりきった生臭い俗物中の俗物であり、醜いことこの上ない。いいですか大先生達、一般国民の大多数は、貴方達の研究なんぞに何の興味もないし、何の期待もしていません。ただもう少し安心して生活できる、弱者に配慮した社会になって欲しいだけです。貴方達の顔には、人として最も恥ずべき特権意識、選民意識が滲み出ていますよ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」　少しは遜譲な方寸を持ちたまえ。</span>
</p>
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    <title>頑愚者の迷走</title>
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    <published>2009-10-11T05:53:42Z</published>
    <updated>2009-10-12T03:39:24Z</updated>
    
    <summary> とりあえず、２０１６年オリンピック東京招致大失敗にカンパーイ！！はじめから無理...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">とりあえず、２０１６年オリンピック東京招致大失敗にカンパーイ！！はじめから無理だと思ってはいたが、つくづくザマアミロである。それにしても、気は小さいが態度はデカイ、威勢は良いが危険な事は全て他者に押し付ける、倣岸不遜な三文文士の無体な希求に翻弄された周囲の人たちの労苦は察するに余りある。さぞや大変だったであろう。センスゼロの公式スーツを着させられ、応援団をやらされていた過去のメダリスト達の姿は権力者の資具そのものであり、哀れこの上なかった。アマチュアスポーツの祭典とは名ばかりの、下品下劣、野卑卑劣、品性の欠片もない商業主義に毒されたオリンピック自体が無意味を通り越して禍害でしかない。こんな下らぬ金まみれのスポーツイベントを、あろうことか花の都大東京で開催しようとしたこの三文文士は、都民国民の冷笑にも気付かぬ救いようのない至愚者といえよう。そもそもスポーツを含む３Ｓ（sports,screen,sex)とは、権力者、支配者による悪行から、衆目を逸らす為の愚民化政策であることは、読者諸賢であれば須く御存知であろう。スポーツが持つ爽快感や清清しさは、大衆から深い思考能力を奪い、スポーツによってエネルギーを奪われた肉体は、あらゆることに抗う力を失う。時代が進み、スポーツというものがどんなに洗練されようとも、この本質は絶対に変質しない。その意味において、オリンピック招致といい、東京マラソンといい、僭越型三文文士の政治手法は著しく古典的である。老三文文士の過去の放言を列挙すれば、東京カジノ構想、東京マラソン、三宅島公道バイクレース、そして東京オリンピック等がある。古典的愚民化政策どころか、もう、まるで興行師かヤクザの発想としか思えない。このうち、なんとか開催に漕ぎ着けたのは、東京マラソンのみである。恫喝型三文文士よりも平均的都民のほうがクールでモラルレベルが高いのであるから至当である。開催地がリオデジャネイロに決まった後も、生来の潔ぎ悪さからか、開催地決定をめぐって、あたかもブラジル側に政治的不正があったかのようなお得意の暴言を発し、ブラジル国民の反感をかった。親日国家であるブラジルに対し何たる非礼であろうか。こういった頑愚者の迷走につきあわされ、なぶり者にされる都民は、鞭打たれる牛馬の如しといえる。今回の非現実的オリンピック東京招致活動に費やされた税金は１５０億円（実際はこんなものではないだろう）と目される。まさに、血税をどぶに捨てたに等しい。どぶに捨てるくらいなら、一万円札を山羊にでも食わせたほうがまだましだ。しかめっ面三文文士は、巨費を投じて荒唐無稽な愚策を強行し、無様に失敗した事実に対し、明確な形で責任を取るつもりは全くないようである。この歴然たる事実を、本当に救済を必要とする社会的弱者は、どういった心持で眺めているのであろうか。また、次期都知事の座を虎視眈々と狙う猪瀬直樹の存在にも注目されたい。こういった輩が権力を握っている限り、東京に未来はない。悪あがきを繰り返す権力者の末路晩節は、醜陋である。</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
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    <title>飽くなき探求</title>
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    <published>2009-08-31T12:24:57Z</published>
    <updated>2009-09-06T08:38:17Z</updated>
    
    <summary>社会的に殆ど存在価値の無い私は、精神的に甚だ自由です。人が生きてゆく上において、...</summary>
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        <![CDATA[<span style="font-size: small">社会的に殆ど存在価値の無い私は、精神的に甚だ自由です。人が生きてゆく上において、私は自由を最も崇高で優先すべき条件と考えます。私の持論によれば自由とは、次の三つに細分化されます。精神的自由、時間的自由、物理的自由です。精神的自由とは、文字どおり何物にも拘束を受けない内心の自由、時間的自由とは、カントの時間論的時間の自由ではなく、日常生活において如何に自由になる時間を持てるかという意味での自由、物理的自由とは、経済的及び空間的自由を内包する自由です。私はこのうちの精神的自由をほぼ十全に獲得しました。思えば、この精神的自由を獲得するのは苦難の連延でした。あらゆる友人知人、家族からも、付き合いが悪い！冷酷だ！高慢だ！へそ曲がりだ！偏屈だ！非情だ！無慈悲だ！理屈っぽい！人でなし！頑固者！おたんこなす！嘘つき！馬鹿！アホ！ハゲ！あっちへ行け！すっとこどっこい！等等、誹謗中傷、悪口雑言、罵詈雑言を浴びせられ、その一つ一つに徹透に反撃を加え弁破し、輝かしい勝利を収めてきたのです。その結果、友人も全く居なくなり、私は誰からも相手にされなくなりました。しかし、それと引き換えに、何物にも代えがたい精神的自由を入手したのです。ヤッター！私は快哉を叫びました。主体性が無く、些末で下らない友人関係から完璧に解放された私は、天空を帆翔する鷲の如く精神的自由を日々満喫しております。素晴らしや、素晴らしや。短歌の一つも詠みたいくらいです。陋劣千万で冗雑な人間関係ほど貴重な人生を不勝にするものはありません。此処まで読んで、私の主張に心の中で反駁している貴方！貴方は物事をあまり深く考えないようですね。そんな事ではいけません。徹底的な自己対話をひたすら繰り返し、速やかに私の様な嫌われ者になって下さい。あなたの反駁など私にかかれば寸暇のうちに論破されてしまうでしょう。他方、私の主張に、無意識のうちに思わず頷いてしまっている貴方！貴方はそろそろ、何と無く、ぼんやりと、人生の馬鹿馬鹿しさ、無意味さ、人命の軽さに気付き、虚無的思考を始めているようです。エライ！その調子でどんどん思考を深め、厭世的偏屈人生を歩んで下さい。そしていつの日か、厭世道について私と激論を交わそうではありませんか。さて、激烈な精励恪勤の後、ようやく精神的自由を獲取した私にも前述の三つの自由のうち、未だ時間的自由と、物理的自由が課題として残されています。が、この二つを勝ち得る事は、私の場合ほぼ不可能なのです。労働という甚だ時間を徒費する経済活動を継続せねばならない生活を強いられている以上無理ですな。絶対に。ダメなものは諦めるしかありませんので諦めております。諦めるって素晴らしい。そもそもこの私の唱える自由論における三つの自由は、言わばジャンケンの様な構造を有しており、いかに沈思黙考しようとも三立させる事は極めて困難です。三つのうちの一つである精神的自由を手に入れただけでも有命と思わねばなりません。よかった、よかった。人生において、努力など何の意味も持ちません。人生を左右するものは運と才能です。今後も、怠惰かつ凄絶、諦念かつ必殺に厭世道に邁進する事を御誓い申し上げまして結びの言葉とさせて頂きます。御読了恐れ入りました。</span>]]>
        
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    <title>騙されて良い事と悪い事</title>
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    <published>2009-07-20T07:43:31Z</published>
    <updated>2009-07-21T08:03:09Z</updated>
    
    <summary> 鴨が食いたいなあ。合鴨じゃなくて本鴨。合鴨なんて偽鴨だからな。まあこの時期野鴨...</summary>
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        <![CDATA[
<p>
<span style="font-size: small">鴨が食いたいなあ。合鴨じゃなくて本鴨。合鴨なんて偽鴨だからな。まあこの時期野鴨は無理だろうから、本鴨なら何でも宜しい。調べて電話致しました。「もしもし、本鴨を食べさせて頂きたいんですが、そちらで使われている鴨は本鴨ですか。合鴨じゃあ嫌なんです。本鴨が食べたいんです。」「勿論うちで使っているのは本鴨です。合鴨ではありません。」「そうですか。安心致しました。それでは今晩お邪魔致しますので、リザーブしておいて下さい。一人です。」本鴨を食える喜びをかみしめながら、その晩私はいそいそと出かけてゆきました。「今晩は。昼間電話で予約した者ですが。」「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。カウンター席へどうぞ。」たいそう小奇麗で洒落た店です。六割がた席は埋っていますが、大声で話すような下卑た客はおらず、静謐を保っております。「いかが致しましょう。」「お酒は浦霞、それと冷奴と鴨の陶板焼きを下さい。」「かしこまりました。」カウンターの中の板前は、国士舘大学柔道部出身といった空気を醸す、かなりの強面です。私なんぞは鼻息一発で吹き飛ばされてしまいそうです。斯様な、国士舘大学柔道部出身的強面板前が包丁を握って板場に立って居るのですから、なるほど店内が静まり返っているのも頷けます。浦霞と冷奴がきました。私は早速一杯やりました。？？？なんか何時も呑んでる浦霞の味と違います。香りも。冷奴も旨くありません。おまけに絹ごしです。もう一杯呑んでみました。違う！あきらかに浦霞ではない！「すみません。」「はいっ！」「私、浦霞を頼みましたよね。」「はいっ！」「これ本当に浦霞ですか。なんか味が違うんですけど。」「はいっ！お客さんよくわかりましたねえ。凄い！実はそれ一ノ蔵なんですよ。」「ええ！浦霞頼んだんだから浦霞下さいよ！」「浦霞切れてるもんで。」「だったら切れてるって言えばいいでしょ。」「まあ日本酒ならどれでもそんなに変わらないと思って。それにどちらも宮城のお酒だし。」「・・・・・・・・・それとねえ、この冷奴。これパックから出して薬味乗せただけでしょ。」「冷奴ってそういうもんじゃないんですか。」「あのさあ、それじゃ牛どん屋で出てくる冷奴と同じでしょ。こちらみたいなきちんとした（きちんとしていないようです。）料理屋さんで出す冷奴ってのは、昆布だしでさっと湯がいてから氷水で冷やすもんでしょ。」「・・・・そうなんですか。そういうもんですか。」「そういうもんですかって・・・・・・・」「よしっ！じゃあそれ、いまからやってみますよ！」「もういいですよ。これ食べるから。」「どうぞ、召し上がってください。葱は良い葱ですよ。足立葱です。」「ホントかなあ。」「ホントホント、葱はホントに足立葱です。」私はこの店に漸次好感を持ち始めました。そうこうしているうちに、鴨の陶板焼きが出てきました。何と言っても本鴨です。これが食いたかったのです。香りも大変宜しい。しかし何と無く肉の色味が薄いな。まあいいや。さっと焼いてパクリ。「モグモグ、フムフム、ンン、オオッ！、ヤヤッ！、アレッ！、コレハッ！」「すみませーん。」「はいっ！」「これ本鴨ですか。どうも柔らか過ぎるし、肉の味も薄いんだけど、ホントに本鴨？」「・・・・・流石っ！お客さんには参りました。はいっ！合鴨です。」「ちょっといいですか。私は本鴨が食いたくて来たんですよ。しかも昼間電話で確認しましたよね。本鴨ですかって。」「はい・・・・。」「嘘ついたんですか。」「はい・・・・。」「どうして？」「是非いらしていただきたかったもので・・・。」「・・・・・・・・。」私は錯乱した心持を落ち着かせる為、暫し、浦霞改め一ノ蔵を呑み、本鴨ならぬ偽鴨を食しました。その結果、この嘘つきなんだか、正直なんだか、詐欺師なんだか、素直なんだか、判別不能の国士舘大学柔道部出身的板前兼店主が甚だ好きになりました。是非また来ようと思念いたしました。さて、話は変わって、私の自宅のエアコンの設定温度は１７度です。もうこれより下がりません。寒いのなんのって、具合が悪くなりそうです。こうして二酸化炭素を出来るだけ大量に排出し、官民一体となって世を騒がせている、あきれるほど馬鹿馬鹿しい二酸化炭素主原因説似非温暖化ブームに身を挺して徹底抗戦しているのです。馬鹿かと思うかもしれませんが、馬鹿にしてはなりません。京都議定書はヨーロッパ諸国が日本を騙し、金を巻き上げる為の詐欺契約に過ぎません。何よりの証拠が排出権取引です。排出権を証券化し、日本から金を強奪し、さらに利ざやを稼いでいます。さあ！読者諸賢もエネルギーを浪費し、二酸化炭素を大量に排出する現代生活を謳歌しようではありませんか。温暖化なんて全くのウソですよー。１００年前にはまともな温度計なんてなかったんですよー。サヨナラー。</span>
</p>
<p>
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</p>
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