2009年3月

暗黙の了解的偽装

歳をとると、心がカラカラのカサカサの、まるで煮干の様になり、何を見ても何を訊いても何も感じず、なんとも思わなくなってくるのが良くわかる。WBCで日本が優勝しようが、小沢一郎が続投を表明しようが、「ふーん、あっそ。だからどうしたの。俺、仕事が忙しいんだ。じゃっ。」てな具合である。まあこれは、私が浮世離れした仕事をしているせいでもあると思う。もっとも、前述の二つの件に関して、WBCが如何なる考量に基いて始まったものなのか、小沢一郎が何故特捜の攻撃を受けたのか、私は真実を識得しているのである。私の耳目は節穴ではないのだ。小沢一郎が特捜攻撃を受けた事由を推考すれば、この国を実際に動かしているのは誰なのか、何故WBCなるものが始まったのかを再考すれば、世界を動かしているのは誰なのかがはっきりと見えてくる。この国を動かしているのは政治家ではないのだから、国政であろうと地方政治であろうと、何万回、何百万回選挙をやっても社会構造は絶対に変わらない。読者諸賢も思い返して欲しい。果たして選挙で世の中が良くなった記憶がおありだろうか。仮にあったとしても、そんなものは微々たるもの、数年経てば元の木阿弥ではなかったか。そう、投票と言うものは、本当に行くだけ無駄である。選挙で世の中を変えるのは不可能なのだ。むしろ、だれも投票しないほうが余程効果があるかもしれない。っとまあ、私の厭世感を訴えるのはこれくらいにして、冒頭に述べた「加齢カラカラカサカサ煮干心(ニボシゴコロ)問題」である。そんな、加齢に伴う私の煮干心に潤いを与えるのが酒である。しかししかし、その私の心の親朋である酒にも、激甚な問題がよこたわっている。それは、「呑み屋の一合はどう見ても一合じゃないだろ問題」だ。昔から「呑み屋の一合は八勺也」などと言われているが、言語道断である。はっきり言おう。これは立派な詐欺だ。食品偽装問題が世を騒がせた時期があったが、私に言わせればあんなものはどうということはない。自分の味覚と嗅覚を日夕鍛錬しておけば騙されずに済む。がっ「呑み屋の一合はどう見ても一合じゃないだろ問題」は違う。感覚を鍛えれば克服できる事案ではない。誠に悪質であり、私にとっては死活問題であり、下戸にとってはどうでもよい問題であり、殆どの人にとっては馬鹿馬鹿しい問題であり、断じて許す事は出来ない。という訳で、私は余生をかけてこの題目と断固闘う決意をした次第であります。つきましては、「呑み屋の偽装一合糾弾粉砕撃滅協議会」を発足致しました。我こそは!と共鳴された方は恥ずかしがらずに是非御参画下さい。入会資格はただ一つ、全てを投げ棄て、命がけでこの問題と闘う事です。それでは読者諸賢、さよおならさよおなら。

群像と思考

東京マラソンである。迷惑以外のなにものでもない。私はこういう催事に参加せんとする人々の精神構造が全く理解できない。そんなに走りたいのであれば一人でいくらでも走っていれば良いではないか。その方がよほど快適かつ愉悦であろう。好きな時間に、好きな場所で、他人に気を遣う事も無く、思うがままに縦横無尽に走り廻り、疲れたらさっさとやめて帰ればよいのだから。花粉と排気ガスにまみれた都内を我先にと血眼になって走る人の群れを見ると、馬鹿馬鹿しさを通り越して失笑してしまう。スポーツというものは、概して著しく健康を害する。老いを恐れ、それに抗おうと無理矢理暴れまわれば、寿命を縮めるのは自明の理である。事実、私のまわりで成人後も執拗にスポーツを続けていた者は、みな早死にした。まあ、「貴様黙れ!それでも俺は走りたいのだ!」という人を止めるつもりはさらさらない。好きにすればよろしい。私が隠忍ならないのは、こういった催事が他者に甚大な損害を与えている事実と、権力者から与えられた機会に嬉々として飛びつき、低次元の精神的充足感を得ようとする隷属的な思考回路である。「そんなことは無い!」と言う者もあろう。しかし、御意見無用。貴方は自分の深層心理を自覚していないだけである。東京マラソンに限らず、WBC、オリンピック、国体、等々、このような前時代的大衆統制型スポーツイベントを何時まで続けるのであろうか。こんなものを続けている限り、個人主義に立脚した真に洗練された、自由で快適な社会は永遠に実現しないであろう。フォレストガンプを見よ!突如として一人で走り出し、走りまくり、疲れ果て、突如としてやめた。あれこそ誠のスポーツだ。斯く申す私も時折走る事がある。それは、電車に乗り遅れそうな時と、便意を催した時である。最尾に、枚挙した様なスポーツイベントは全て、政治的意図の下に始まり、政治的に利用されている事を付け加えておきたい。クワバラクワバラ。
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